I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

Dear WOMAN

フランスの作家であり、サルトルの事実上の妻であったボーヴォワールは、代表作『第二の性』において「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とし、女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを主張した。


日本では江戸時代に「三従の教え」があり、女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従うという約束事に縛られてきた。




時代が進み、旧来の「女性の社会的役割」に捉われない自由な生き方が可能な時代になっているにもかかわらず、私の目には依然として女性が「第二の性」から開放されていないように見える。


そこで、誤解を恐れずに一言。

まだまだ多くの女性が「自分の価値を自分に見い出す生き方をしていない」


女性蔑視その1


「現代版 三従の教え」これを否定できるだろうか。


学生時代は、「彼氏」のルックスや大学名等で自分の価値を確認する。
結婚すると、「旦那」の職業や収入等で自分の価値を確認する。
子ども産めば、「子ども」の学校や成績で自分の価値を確認する。


また、ブランド品も買うのも、それが価値のある物だと世間が言っているからではないだろうか。

女性にとって自分の価値とは、「自分が何者であるか」ではなく、「自分が何を手に入れられるか」にかかっている。

「彼氏」「旦那」「子ども」も身にまとうブランド品にすぎない。


ある知人が言った。


「女性は、夫の持つすべてが自分のモノであると考える」




女性蔑視その2


「女性を縛るのは女性」



女性は自身の価値観で測って物事を選択することはなく、同姓の友達、知人がどう思うかが判断基準になっている。言い過ぎではないだろう。


同姓つまり女性同士の戦いというか見栄の張り合いというか、常に比較し合っている。褒め言葉の陰で裏切っている。そういう感じがする。


だから、「負け犬*1」という言葉が流行った。


そういう人間関係で女性同士牽制しあっているから、負け犬的なボーダーラインで人を差別するような感じになる。
女性の女性による女性のため差別なのだ。


印象的だったのは、
私が好きな古内東子というアーティストは独身で30歳を過ぎているのだが、
テレビか雑誌で「恩人」とされる女性から、

早く自分の幸せをみつけて


と言われていた。


大きなお世話としか言いようがない。


女性自らの手で「第二の性」を再生産しているのだ。




女性蔑視その3


上で書いたようなことにまったく関係ないマインドを持つ女性は「負け犬」となる可能性が大きい。
女性同士の競争的な部分に鈍感だと、無理して結婚という形を求めようとしないので歳を重ねてしまうのだろう。


また、上で書いたようなことに極めて敏感であって積極的に行動したけれど結果(=結婚)が出せなかった女性もいる。


これらの女性達、つまり「持つことで自己確認」をすることができない女性達はどうなるか。

不倫


それは、「持つこと」による自己確認(浮気と知っていても)、もしくは「持っている同姓=既婚女性」への復讐心から生じた偽装にすぎない。


「出会う順番が違っただけ」と心の整理をしてもむなしい。
むしろ「現実逃避」「性欲」だと心で割り切っている方が健全。






以上が、現代女性が置かれた奇妙な状況。


男だったら、自分の価値を自分に見い出すし、価値観も様々。
それが男のプライド。
不倫だって性欲以外に理由はない。


西洋の童話では、普通の女の子が突然お姫様になる。シンデレラみたいに。
女性は、自分に与えられたモノを受け入れ、成りきることも演じきることもできる。


一方、いきなり王様になった男の子の話なんて聞いたことがない。たいてい悪者を倒すなど自分の力で王座を手に入れる。ライオンキングみたいに。
そもそも、男性は王様に成れと言われても辞退する。自分に準備が出来ていなければ受け入れられないし、演じることもできない。


その違いは大きい。

*1:30代以上・未婚・子なしの3つが揃う人のことを指す。ベストセラー『負け犬の遠吠え』が呼び始めた。2004年の話。