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根暗なマイハートのネジを巻け!

平成21年7月1日

夏目漱石『門』の感想文
平成21年7月1日記事の再掲

鎌倉 円覚寺の山門に行った。
夏目漱石『門』を読んだ。


主人公宗助がどんな気持ちで門をくぐったのか、それが知りたかった。
読む前のイメージとしては、宗助は門前で何日も待たされ、やっとのことで門を通される、もしくは拒絶される。いずれにしろ宗助はそれにより何か成長する。
というストイックなドラマが門前で展開されるのだろうと思っていたのだが。。。


読んでみると実際のストーリーでは、宗助は簡単に円覚寺の門をくぐり、十日間、禅の手ほどきを受け、そして何も得るところがなく門を出た。


しかし、夏目漱石はこう書いている。

彼は依然として無能無力に鎖された扉の前に取り残された。

要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。


宗助が出入りした円覚寺の門とは別の門が依然として立ちはだかっていた。
それは一生を通じても開けることができるかどう分からない門。
それは、彼の心の中にあった。


小説は、このような文章で終わる。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当に有り難いわね。漸くの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

宗助は、過去に負い目を持って生きている。
親友の妻を奪い取ったその過去に。
宗助の妻、御米もそのことの天罰で夫婦に子どもが出来ないと思っている。
このような暗いトーン、諦観の念を帯びながら、宗助夫婦の日常は、多少の事件やお金の心配はあっても、ゆるゆると流れている。
分別よく他人と関わり、上手く流されていく。


この小説を読んで、私はこう考えた。
宗助は何を悩んでいるんだろう?
漱石は何故この小説を書いたんだろう?


宗助は親友の妻を奪い、それが元で両親に勘当され世間からも放逐されたと書いてある。
それで社会に負い目を感じるのもいいが、好きな女性と生活しているんだし、別にいいんじゃないかと思う。
彼の心の中で立ちふさがっている「門」、その先に何を期待している?
背負っている重い荷物からの開放か?リセットか?
彼が円覚寺の門をくぐった十日間。それは、彼が妻を奪った親友の安井という男が、彼の隣家を訪問する時期と一致している。
つまり、気まずい相手と鉢合わせになりたくないから、円覚寺に一時避難したにすぎない。そんな動機から禅寺の門をくぐったって成長はないと私は思った。
罪の意識から逃げていたって、何も解決はしない。でも、罪の意識を放り投げる事もできない。罪の意識が「門」として彼の前に立ちはだかっているのかもしれない。
しかし、過去に大きな罪を犯したと自覚している人間の、その後の生活には苦しんでも救いや答えはない。それは許されないという意味とは違って、一生その負い目に付き合っていくしかないという意味であり、それは別に悪い事ではないと私は考える。


ところで、かつて宗助は鮮烈な「門」を開けている。
親友の妻、御米を奪った。
社会のモラルや友情を壊して御米への想いを貫いた。
背徳の門というべきか、自然な気持ちの門というべきか分からないけれどくぐった。
彼が今立ち竦んでいる門前とは、かつての彼が開けた門の反対側なのだろうか。
自己実現的社会と管理社会との間に彼は立っているのだろうか。
または、ここまでが良くて、これからは悪いという境目=閾値は人によって違うと思うが、それが門だとしたら門を開けなくても門自体を動かす事だってできるのではないか。
よく分からないので、この辺を結論としておく。


漱石は何故この小説を書いたか。
それは「人間の関係」だと解説に書いてあった。
私なりに考えると、人間の関係には熱い関係と冷たい関係があって、宗助と御米の間には熱い関係があり社会を敵に回しても護りたいもの。冷たい関係は現在の宗助夫婦と社会との関係、それなりに分別ある応対を宗助はしているが、どことなく心が入っていない様を漱石は丁寧に描いている。
さらに、解説にあったが、宗助と御米の熱い関係の中にもお互いが触れられない部分があって、例えば宗助は禅寺で十日間過ごしたことを御米に秘密にした。


ふとリアルな社会に意識を戻すと、たしかに冷たい関係が広がっていてそれはそれでいいんだけど、熱い関係を誰かと結ぶ方法が分からずに、その「門」の開け方が分からずに立ち竦む人は増えているかもしれないなあと思った。
例えば、婚活だったり、学校の裏サイトでの誹謗中傷だったり。
最初、小説を読んだとき、他人の妻を奪ったから勘当とか一生の後悔って厳しいなあ昔っぽいなあと印象を受けたが、現代社会はそういうモラルの部分の許容範囲は広がっているが、個々の人間レベルでは例えば他人に好きだといったり本音を言うとか、そういうステップの踏み方から分からない、「門」の開け方が分からない不器用な人間社会になっているのかもしれない。
だから、逆に傷つけたり殺してしまったり、裏切りの形になってしまったり・・・


私としては、こういった人間関係を前提に、上手に生きる方法をこの小説から学びたいと思った。
さて、私にとっての門はなにか。
それは職場のドアだ。もう1ヶ月も休んでいる。