旧古河庭園に向かっているのだが、なんだか石垣萌えである。
旧古河庭園に着き申した。
概要 東京都公園協会HPより
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/view034.html
J・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっています。
12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った15年7月以降は貴賓の為の別邸となり、昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されました。
館内見学ツアーに参加し申した。
- 洋館であるが、2階に和室がある。洋館に和室の設計は、当時4軒しかなくて、現在残るのは当館のみらしい。(確かに、旧岩崎邸にも和室はあるけど別棟だ)
- 壁の厚さが40センチもあり、関東大震災にも耐えた。ちなみに今年の東日本大震災でも損傷はなかった。
- しかし、戦後しばらくして空き家となり、天上に穴が開くなど荒れ果て、地元の人にお化け屋敷と呼ばれた。
- その後、その歴史的価値から修復され、平成元年に公開され、文化財(国指定名勝)に指定され、現在に至る。
- 館内には、100年前のシャンデリア、分厚い木彫りの薔薇のレリーフ、精緻な和室の欄間など、高価で高度な職人技がつぎ込まれた装飾が、今に残されている。
- 当時珍しいボイラーのお風呂、電話、自家用車など西洋帰りの虎之助氏の生活ぶりは最先端だった。
- 現在、洋館は結婚式会場として貸し出しがされている。暖房設備がないので、春と秋のみ。
新しいデジカメで、西洋庭園の薔薇を激写し申した。