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根暗なマイハートのネジを巻け!

『何者』の感想


何者

何者


読後、本を手に取ったまま呆然としてしまった。


感想文として、芯を喰ったことを書きたいのだが、周辺のことばかり頭に浮かんできてまとまらない。
ネタバレをしてしまうかもしれない。


三島由紀夫豊饒の海』4部作における各巻終盤のカタルシス。
ニューシネマパラダイス』ラストシーンの走馬灯。
ブラックスワン』(映画)の自意識。
AKB48派生ユニットのNO NAME
会田誠「モニュメント・フォー・ナッシング IV」


そんな知識を書き連ねてもだめだ。


インターネットが普及しはじめたころは、自作ホームページで趣味などの情報発信をする人を見て、創作的に頑張っている人と認識してきたが、生まれたときからインターネットが当たり前の若者たちにとっては、ネット上で発言するだけじゃ誰もほめてくれないんだなと思った。


ちょっとズレた。


就活を婚活に置き換えても成立するのかどうか、この前会った女性は、自然な出会いがいい、結婚ありきで異性を探すのは違う、相手の条件を値踏みするようなことはできないとか言ってたけど、彼女に10%でも20%でも良いから自分を出せ、結果を出せと言ってみたらどうだったのか。


そんなこと思い返してもだめだ。


拓人に似た知人がいて、彼が銀行を辞めて転職するときに、どうして辞めたのか聞いた自分の言葉に、逃げたんじゃないのか?という語気が含まれていなかったか?


これも違う。


ラストシーン、そこで自分が思ったのは、就活で自分探しされても困る、ということ。素の誰かなんて、世の中は必要としていないんじゃないかと寒々しくなった。
何かの役割を果たしてしか社会では必要とされない。
だから、面接で自分を出すとかどうでもいい。素の自分で就職できたらきっと会社生活が少しは気楽なんだろうなという程度。


江戸時代「個人」なんてものは無かったのだそうだ。社会に与えられた身分や職業を果たすだけ。自由恋愛は「くっつき」と言われ低く見られており、結婚とは見合いによる家と家の結びつきすなわち社会的なものだった。


現代は「個の時代」などと言われて久しい。
しかし、「個」の時代が若者を逆に疲れさせている。
良くも悪くも社会が個人に一定の役割を強制してきた江戸時代と違って、今は自分で自らの役割を見出し、自分を社会に差し出し続けなければならないからだ。


こんな在り来たりの感想じゃ足りない。


本書はツイッターソーシャルメディアとの関わりという表層からとらえることもできるが、若者がソーシャルメディアという公のツールで、匿名により裏の自分を差し出している「一番弱い部分をみせている」側面に対して、少々厳しい。


新しいツールを駆使しながらも、登場人物は「他人との比較」や、内定という「自己承認」を巡り心揺れる毎日だ。
古くて新しいテーマだと思う。


人材会社トライアンフの社長は「他責性」「自責性」という言葉を使う。
そして、採用にあたっては「自分の実績を自慢するばかりの人は面接で落ちる。他人に助けられたとか、自分のここはダメで次は直したいなど謙虚な言葉が言える人材は伸びる」と言っていた。


本書にこの言葉をあてはめれば、ツイッターの「裏アカウント」を持っていたときに、その中身が「他責性」「自責性」のどちらであるかで区別され、前者には厳しく、後者には暖かい目線が感じられた。


また、立川志らくの言葉を思い出す。
なんだかわからない奴が世相を語っても嬉しかない。己というメディアを築けて初めて、他人が雑談に耳を傾けてくれるのだ。 「落語進化論 (新潮選書)」


たしかにそうだ。この言葉は自分にも刺さった。
政府や大企業に向かって「・・・は真摯に反省を」などと書いているツイートを見ると、お前は何様だと感じることは多い。
ツイートをするとき、たしかに人は「何者か」になった気分になる。


でも、英語で「何者か」はSOME OME なのであり、日本語でも、誰だか分からない人と、一角の人物をどちらも「何者」と呼ぶ。


何者とは何だ?


自分はたった一つの何者になるわけではない。
「親として」「子供として」「学生として」「職業人として」「配偶者として」「余暇を楽しむ人として」「市民として」などいくつもの顔を持つ。
ドナルド・E・クーパー「ライフ・キャリア・レインボー」


本書は、舞台が就活であるが、就職だけが何者かになる道ではないし、就活以外にも自分の存在価値を問うたり、他人と比べたり、自己承認を求めてもがいたりする場面は多くあるんだよな、ワークライフバランスとも言うし、これだけは押さえておきたい。


ちなみに、職業人としては「社会人基礎力」という考え方を経済産業省が提唱している。http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/index.htm


「かっこ悪い自分」「10%、20%の自分」から、社会が求める人材になるための物差しが書いてある。
つい先日、我が社の若手研修で教官が言っていた事「まずは目の前の仕事を精一杯にやること」この言葉と、本書の趣旨は案外遠くないもんだなと思った。


待て、こんな風に他人の言葉を並べるだけじゃなく「私は」どう思ったか書かないとならない。
音楽を止めて考える。


意見をぶつけ合える関係性が少し羨ましく思われ、話はそこからだ、という風に感じた。
その意味で救われる結末だったことが嬉しい。