I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

自分というメディア


1.十年くらい前、先輩に「この一年間に身の上に起きた10大ニュースを考えてみ?仕事以外に無いだろ?」と言われた。たしかに、仕事の成果とか、反省とかしか自分に起きたイベントがなかった。それは、仕事と生活のアンバランスもあったが、自分というメディアを確立できてないという問題もあった。


2.自分というメディアとは、自分の殻で物事を受止める覚悟で、他人と接すること。他人も私という殻を目がけてくる状態のこと。組織人である以上、組織の殻が前面に出がちで、私は匿名的存在。その使い分けで、仕事中は、プライベートの時ほどには人見知りしない。無理しているとも言える。


3.自分というメディアで他人と付き合ってたのは学生時代までだったかもしれない。自分というメディアで勝負したのは就職活動のときだったかもしれない。働き始めてからは自分というメディアを使ったことはない。また、自分というメディアで異性に声をかけるなんて冒険は、できなかった。


4.未婚率の増加は、経済的問題もあるだろうが、自分というメディアで勝負できない人が増えているってことだと思う。そこを避けては通れない。では、昔の人は違ったのか。それは逆で、昔は見合いなど社会的な結び付きが多かった。おそらく自分というメディアなど誰にも要求されない、職業や居住地が固定的で、人の人生は周期的で反復的な営みだった。例えば、梅が咲いて、桜が咲く、そして来年も繰り返す。人は一片の花びら。


5.自分というメディアを確立できるか、勝負できるか、それが私の中二病。では、本名出せよという話になるが、それはリアルの世界で実践することにする(論理のすり替えは自覚)。
なお、「自分というメディア」とは、立川志らく師匠が使ってた言葉。
以上、私はその変奏曲を書いたようなもの。