I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

文化祭のおもひで

高校の文化祭は

一年のときは演劇に駆り出され、姫を連れ去ろうとする人の役だったと思うが、扇子をなくした記憶もあるので姫だったかも知れない。

 

近くの女子校の学園祭に行ったら中学の同窓生(高校は別の男子)に、偶然出くわし、このスケベが!と急に殴られた

 

二年は映画研究会の部屋でプラトーンを見た記憶くらいしかない。

 

三年年では全校生徒の前で弁論大会。学年3位となる。

 

体育祭では、バレーボールでアウトの球を打ち返そうとしてミスするなど痛々しく振る舞い負けに貢献する。

 

軟式テニスでは決勝に進むも、天候か何かの都合でそのまま終わる。

 

それは貴女の家庭の分担の話

娘の運動会に休日勤務が入りました

 

周りのママ社員に代わってもらうのは気が引けたので男の自分が引き受けました

 

しかし、それって勝手な気の回し

 

男も女も育児する時代だから、男だって子どものため休んでいいはず!

 

もし、ママ社員に、母親に休日出勤はないわーと思われても、それは主語を母親とか大きくしないで、貴女の家庭の分担の話でしょう。と言います

 

こうして、今まではあまつさえ父親が仕事の負担を男女不平等に背負って、家では「お父さんは家庭を顧みず仕事ばかり」と文句言われた。

 

いやいや、それ全部仕事と育児における男女不平等の結果。子どもがいる母親に過度な仕事をさせす、男に過度な勤務条件をしわ寄せした結果。

つまり。貴女の旦那が仕事で家に帰れないのは、職場の誰かワークライフバランスの認められ易い女性社員のフォローをしてるためかもしれません。

 

だから、これから私は妻子のために、休日の仕事は子育てママ社員にも応分に負担してもらうようにします。

休日は父親も家族と過ごしたいのです。

 

時代に沿ったマインドチェンジするさ。

 

 

もちろん休日働かない勤務条件の人には頼めません

仮説 世間を解釈し直し候

性同一性障害診断テストなるものを複数みた。
例題に、典型的な女子の遊びを好む、社会的に男性の役割を望む、みたいな自己申告と、苦しみを和らげるために治療が必要か診るものである。
これはジェンダーと切り離せない。本人と医師のジェンダー感覚や属する社会によって左右される男女判定だ。
医療アプローチによる性別の変更は、あくまで治療目的で本人が望む性で生きてもらう医療行為として行われる。社会を巻き込む処置なので、法によって社会的合意を得て行われているものだ。普遍的な判定ではない。身障者に車椅子を用意することに近い。

 

ジェンダーフリーになったら、男の行動規範、女の行動規範の区別はなくなるため、トランスジェンダーの生きにくさは減容するのではないか。