I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

インドの国教はなぜ仏教でないのか

インドの仏教徒は800万人

外務省HPによると、インドの人口は約10億で、仏教徒は0.8%
ヒンドゥー教徒は、人口の約80%だから8億人と計算できる。
国教はない。


恥ずかしながら表題にある素朴な問いを長年抱いてきた私としては、この事実はいささか意外であった。
まず、インドに国教はない。さらに800万人も仏教徒がいる。


では、なぜ釈迦(インドの人)を起源とする仏教がインドで勢力を失ったのか。
これについて以下、私が調べた範囲による私の独断の理解であることを前提に書いていく。


誤解を恐れずに言えば、現在ある仏教は「釈迦の仏教ではない」
釈迦の死後、釈迦の名を語った新興宗教が3つできた。
ひとつは学問のための「上座仏教」
ふたつめは大衆ウケをねらった「大乗仏教
みっつめは他宗教との融合「密教


釈迦の教えは、大雑把に言えば『ちりとてちんNHK)』で、じゅんちゃんが言う様に、「何があっても天災、天から降った災いや思て、乗り越えや。」つまり、現実を直視して受け入れることで心の安定を得る教えだった。

  1. 「上座仏教」とは、釈迦の教えを熱心に研究し実践する人々の宗教であったが、出家が悟りをひらく条件であったため、その余裕がある人々に対象が限られており、学問に偏りすぎる傾向もあった。
  2. 大乗仏教」とは、「上座仏教」では救われない一般大衆をターゲットとしており、釈迦の教えにない「ご利益」という他力本願的な発想や、その地域の既存の宗教の要素を上手に取り込んで少しずつ変身しながら各国に広がっていった。
  3. 密教」とは、インドにおいてヒンドゥー教に対抗するために、ヒンドゥー教の「神秘主義」要素をとりいれたという説がある。そもそも釈迦の仏教は論理で説かれており論理外(神秘)の要素は、その教えになかった。


つまり、現存する仏教は釈迦の教えとは違うのでインドの主流でなくなったからといっても不思議でもなんでもない。と結論付けることができる。


しかし、それも短絡的なので歴史を振り返るとこうだ。
インドにおいて、当初主流となった「上座仏教」は出家して修行を積んだ者のみが悟りをひらくというスキームであるため、働かなくても生活ができる富裕層だけの信仰だった。
そこで「上座仏教」に対抗し、一般大衆向けの「大乗仏教」が出現する。
しかし、やがて大乗・上座仏教ともに不利な状況に見舞われる。ヒンドゥー教を国教とする王朝の誕生や、富裕層の没落*1があったからだ。
以後、インドにおける仏教とヒンドゥー教の覇権争いはヒンドゥー教が有利に進め、両者がお互いの要素をとりいれながらの抗争が続いた。例えば、ヒンドゥー教には偽りを伝える者として釈迦が登場し、仏教では、ヒンドゥー教に近い要素をもつ「密教」が生まれインド周辺に広まった。その結果、軍配がどちらに上がったのかについては、現状を見れば明らかである。


インドからスピンアウトした仏教はどうなったか。
中国には儒教道教がありシェア争いが厳しかったため、仏教はこれらの思想を取り入れるなど形を変えながら中国に浸透していく。
例えば仏壇の位牌。もともと仏教に位牌はなかったが、父母を敬う儒教的な思想を取り入れる中で生まれたものだ。
さらに、インドの経典は、中国の言葉に翻訳され、その翻訳を基にして議論され解釈されていった。

日本に伝わった仏教は、中国における仏教の変容と、翻訳・議論による伝言ゲームの結果だ。


このように歴史をひも解けば、インドでヒンドゥー教に主流を明け渡し、形を変えて中国や日本に伝わった仏教の姿が見て取れるのである。


関連日記id:horikita800:20071010

*1:ローマ帝国との東西貿易で栄えたインドだったが、その後ローマ帝国の衰退にしたがって商業がすたれ、インドの富裕層も没落していった。