映画『八日目の蝉』に「世界の綺麗なものを沢山この子にみせたい」という趣旨のセリフがある。
作者は小説『空中庭園』では「子育てなんて簡単だ悪い物を排除して愛してあげればいいのだ」と女に言わせている。
どちらの物語も、描かれた現実と心理は複層的なものだが、どんな人の心の奥底にも清流が流れると信じたくなるような話であり、そういったものを沢山目にして子が育てばいいなと私は考える。
なぜなら、この世で時間と空間を超えて存在する美とは、人間のやさしさ、正義漢、いじらしい自己愛や渇きなど、心の中にあるものとライトサイドに構えてわたしは生きているからである。
いえ、酔ってませんてw
でも、よく考えると、上記2作にある心理に美を求めたときに、当てはまるものが何だかわからないので筆を置けない〜
家族愛?
どちらの作品でも、家族を意識せずにはいられない。
映画『八日目の蝉』では、親子でなくても心が通じ合って「家族」になれたし、親子でも心が通い合わないもどかしさが見て取れた。
小説『空中庭園』の家族は、バラバラのようで、お互いを気に掛けているが、心の芯は愛人だとか学校で居場所のない者同士のような外部とのつながりが強い遠心力を持ちぐるぐる回っている。
単に「家族愛」とか「愛」という言葉でくくれるのだろうか。
『空中庭園』の女はその母に対し、家族ゆえに気になるし、家族ゆえに反発する、家族ゆえに面倒だと思っている。
『空中庭園』の長女は「家族と一緒にいても実感がない、誰か知らない人といる方が生きている感じがする」と思った。
角田光代さんの『八日目の蝉』では家族への希求が切実で、『空中庭園』は家族を軸にした遠心力が強く働く。
私は「どこにも答えはない それでもいつか見つけたい あなたという人を分かりたい いつの日か」*1という歌詞が頭を駆け巡った。
思うに「家族だから」ではなく、「大切に思っている必要としている」メッセージをかつて一度でも共有できた経験があるかないかで、人は結ばれているのではないか。
そこには、私が挙げた人間のやさしさ、正義漢、いじらしい自己愛や渇きなどが溢れている。(もうそういうことにしよう!)
もう遅いから寝る!!
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