I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

リツイートから寄付文化まで


リツイートって結局は「自分はこの秀逸なコメントに共感する秀逸な人物だ」というアピール。
ブランド品を身に付けたり、iPhone使って優越感を味わうのに近い。
自分を何かキラキラした魅力的なものに引き寄せて非凡に見せたい。


そういう自己愛的エンジンに、情報の拡散という奉仕的行動様式を与えた意味で、リツイートを考え出した人は凄いと。
リツイートの発明は数あるソーシャルネットワークにおいて、ツイッターが優越的地位を持つに至った大きな要因だと思う。


リツイートではなくても、人は好きな本や音楽のレビューをAmazonのサイトに書き込んだりする。誰に頼まれたわけでも、お金をもらってもいないのに。
世の中には本を推薦するだけでは気が済まず、図書館に本を寄贈したがる人がいるんじゃないかと私は思う。


実際、美術品に関して言えば、海外の金持ちは所蔵品を美術館に寄付するのだそうだ。
自分がいいと思うものを多くの人の目にさらしたい、勧めたい、この気持ちは宗教にも通じる。


いい仕事してますねの鑑定士中島氏は言う。日本で所蔵品を寄付したがるは庶民に多いのだそうだ。庶民なだけに「がらくた品」ばかりでも寄付したがるとのこと。


リツイートもブランド品も美術品も自分を何か特別なものに関連づけ、自分が凡百でないと思う。
実際は、単なる便乗なのだが。


リツイートによる拡散や、ブランド品を見せつけたり、美術品を寄付するのは「オレの価値観」のシェア。つまり自分の押し売り。
美術品の寄付なんて、自分勝手な押し付けが多いのではないか。


お金の寄付を集めるときも、漠然と網をかけないで、大衆の「オレの」を上手く吸い上げるような個別具体的なテーマ設定だと上手くいくのではないだろうか。