キュウリを植えた畑にはキュウリしか成らない。二宮尊徳はこう言ったそうだ。
地道に努力した分しか結果は来ないという意味だ。
小学校などにある銅像で、薪を背負って本を読みながら歩く人。
二宮尊徳だ。
二宮尊徳は、誰よりも農業に詳しく、農民のウソは見破り、目立たぬ下仕事を担当する者ほど手厚く処遇し、それが人望を高めた。
二宮尊徳を深く知ると、勤勉で愚直なだけではない実務家としての輪郭が際立ってくる。
幼いとき親を無くし、伯父のもとで働いて育った。
昼は働いているため、夜勉強していると、貴重な油を使うなと伯父に怒られた。
そこで、明かりを灯す油を自分で買えるように、アブラナを育てた。
翌年、自分の油で夜勉強をすると、伯父は褒めるどころか「俺が面倒みてやってるんだから、お前の時間は俺のものだ、そんな暇があれば夜も働け」と叱られたので、夜もワラジ作りなどをして働いた。
二宮尊徳は、伯父の言うことはもっともなことだと思い、干し草や薪を取りに行く往復の道で勉強した。
二宮尊徳は休みの日も、自分で荒れ地を見つけ、耕してコメを作った。
そして、色々工夫して沢山収穫できるようになった。
かなりの資産を得られるようになって伯父の家を出た。
二宮尊徳は近所の人すべてから模範的な倹約家、勤勉家として尊敬を集めた。
二宮尊徳の名声は領主の知るところとなり、領主は荒れ地の開拓を二宮尊徳に頼んだ。
しかし、殿様から仕事を頼まれても3年間断り、入念に調べて出来そうだと分かってから引き受けた。
村人達が指示を聞かないときは、3週間くらい身を隠して村人達が謝ってくるまで帰らなかった。
それでも言う事を聞かない奴には逆に家を建ててやって手なずけた。
二宮尊徳の名が各地に知れ渡り、教えを請う者が後を絶えなくなった。
農民達が貧困を訴えたとき、鍬を渡し耕せと言った。
領主が相談に来たときは、「民が飢える時は為政者がまず食を断って死ね」と言った。
私が思うに、二宮尊徳は創意工夫と自己責任の人だった。
戦国武将に例えれば、「鳴かせてみせようホトトギス」+「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
二宮尊徳の発想は、現代にも通じるものがある。
例えば、空港やハローワークを企業に運営させたり、路線バスを24時間にするなどの規制緩和が投資や消費を増やすと期待されているが、二宮尊徳は、行政がカネを使わず、民の力を引き出す秘訣を言っている。
荒廃地を再整備して困窮する農民を再興せよと命ずる領主に二宮尊徳は言った。「金銭を下付したり、税を免除する方法では無理。まことに救済する秘訣は金銭的援助を全て断つこと。ただし、この痩せた土地からの収穫物は、半分は農民に与え、半分はさらに開墾するために使わせることです」
また、安倍総理と黒田日銀総裁のアベクロ経済は、金融緩和で我々に札束を渡し、稼げと言っているが、これは二宮尊徳が農民に鍬を渡し耕しなさいと言ったのと同じことのように思える。
このようなことから、低成長時代の現代の経済活性化の秘訣は、荒廃地に実りをもたらした二宮尊徳に学ぶところが大きいと思った。
要するに、景気が良くなって欲しいと日本人全員が思っていてもダメ。キュウリを植えてキュウリ以外のものが収穫できると思うな。誰かが新たな需要を生み、生産し、雇用を増やし、消費を増やすということをしないと。
それをいつやるか、誰がやるか。
今でしょ。貴方でしょ。なんてな〜
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