I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

社会の縮図


電車通勤をしていると、本当に社会の縮図だと思う。


幅をきかせて座っている人、足を前に投げ出したり、足を組んだり、肘を張ったり、入口付近に立って車内の人の動きを悪くしている人、通路の中ほどまで詰めない人、背中のバックパックが後ろの人に迷惑をかけていることに気づかぬ人。


調整役のいない空間なので、指揮者のいないオーケストラのように調和がとれない。
問題は、彼らが無自覚であること。自分が迷惑をかけていることに気づかないこと。


もっと悪いのは、そういう出っ張って迷惑行為をしている人がいるときに、彼らを避けるために、第三者がとる行動が、迷惑行為をしている人に働きかけるのではなく、近くで小さくなっている控えめな人に向けられることだ。


例えば、人で通路が塞がっている時、「通してください」と少し人を押すときに、気の弱そうな方を選ぶ。
一人が席を1.5人分使っていて半人分のスペースしかないとき、1.5人分使っている人に詰めろとは言わず、話の通じそうな周囲のよく見えている他の人が詰めてくれることを期待する。


バカとは馬と鹿の区別がつかない人のこと。つまり認識力の問題。
バカは自分が他人に迷惑をかけていることを認識できない。
電車内で人に迷惑をかけていることに気づく事ができない。


本当、よく考えてほしい。


電車ですらそうなんだから、社会に目を向けたら職業とか財産に関して社会で最適解が得られているとは思えない。


偏在やボトルネックがあり、当事者がそれに気づいていない。


例えば、混んでいる車両の次に来る車両はガラガラだったりというのは電車に乗っている人には気づかず、ホームで電車を観察している人に分かること。


当事者には気づきにくいことを教えられる仕組みづくり、社会が最適解を得られるようなゲートキーパー、マスコミだったり行政だったり、なんて示唆的なことを思ったり。