I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

おれのマネジメント論


組織のリーダーって必要なのかなと時々思う。「お神輿」みたいに担がれて、「連絡係」すらまともに出来ない、森喜朗氏の発言や、NHK新会長の発言を聞くかぎり、いるだけのギャラ払うのも惜しい。
オリンピックの実行部隊やNHKの制作現場の1人1人は見えないけど、何となく組織の力は信じてる。


クレーマーが「社長だせ!」と言うとき、何を期待しているのだろう?社長に申し伝えますとか、ご提案は社内で共有しますとか言うと、怒りが治まり帰る人もいるのは確かだ。同じ意味でも「社内の苦情リストに入力しておきます」と答えたら火に油か?「組織の長が聞きおく」という擬態が必要なんだろう。


市区町村や宅配など、反復、定例業務が多い組織では、組織の「長」はいらず、条例とかサービス規準などが定まっていればいいんでないか?その条例や規準を決めるときにだけ「組織の意思決定、判断」が必要になり、長の役割が出てくる。それもオープンにして住民や顧客が決められたら、長はいりません。


不祥事で社長が辞めるのも、そのケジメの付け方が定着しているだけで、普遍的に正しいやり方なのだろうか?誰かが消えると庶民は何かをやっつけたような気になるけど、それだけ。社長がクビになるより、値下げしてくれた方がうれいいし、「第三者機関で調査?」じゃあ社長を初めから第三者にしておけっ


市区町村や宅配など、反復、定例業務が多い組織では、組織の「長」はいらず、条例とかサービス規準などが定まっていればいいんでないか?その条例や規準を決めるときにだけ「組織の意思決定、判断」が必要になり、長の役割が出てくる。それもオープンにして住民や顧客が決められたら、長はいりません。


組織の「長」の役割は、組織を代表して「連絡係」「聞く耳という擬態」。
組織運営のため「責任をとる人」「判断をする人」。
しかし、それらも普遍的必然性のある役割なのか、実際の長が果たせているか疑問符を付けた。
ただ、現状を変えたいのなら「行動者」としての長が必要なことだけは言える。


いや、大事なリーダーシップ、組織の求心力という「長」の役割をお忘れですよと言われそう。しかし、仲間を巻き込む力は、すなわち周囲の人間をして、皆が「長」であるのと同様に考え、行動する様を意味するのであるから、その意味で「長」の役割とは”行動者”という括りで足りると強弁したい気持ち。