今日は、“第1楽章“と気取って、演奏の聴き比べがテーマ。(前回id:horikita800:20061126)
「選曲集CDや全集BOXセットではつまらない。自分で情報収集して探険的に音楽を聴くのが楽しい。」ということを書くつもり。
実際『クラシック入門』とか『名曲100選』みたいな本や雑誌を片手に、自分なりの戦略を持って聴きたい作品を選ぶのが楽しい。
なお、作品の有名な一部分をつまみ食いするのではでなく、最初から最後まで聴いた方が、私はいいと思う。*1
しかし、演奏は長いもので1時間に及ぶものもある。そういう時は、自分が良いと思う箇所をいくつか見つけるようにする。そして、それを目印のように覚えていて次に聴くときはその目印を頼りにして演奏を楽しんでいる。
そして、気に入った作品については、違う指揮者、オーケストラ、演奏家で聴きくらべると面白い。
例えばおなじネタでも面白く話せる人とそうでもない人がいる。話し方や面白い部分のツボの心得方に上手下手があるからだ。
クラシックも同じで、同じ音楽を演奏しても、その演奏家が思っている“美味しい部分”と、聴き手が考えているそれとが、異なっている場合がある。聴き手として未熟だから解らないという不安がつきまとうが、そんなことを考えないで自分が良いと思うかどうかだけを基準にして私は聴いている。*2
クラシックの本を読むと“歴史的名演”的な表現がされているものが多い。ワインと違って、CDは良いものも悪いものも同じ値段で売っているというのがミソなので、本当に名演かどうか、とりあえず買って聴いてみて、自分基準で楽しむのがいいと思う。
それと、矛盾するようだが予算に余裕がない場合で何を買うか迷ったときは、最近の演奏で、録音状況がいいものを買うようにしている。昔の演奏で「良い」とされているもので、音が悪くてがっかりしたことが多いからだ。
それと私の場合、初めて聴く作品は、演奏のテンポが速い指揮者で聴くようにしている。これは好みの問題だが、遅い演奏だと曲の全体のイメージが掴みにくい。早い演奏で曲の全体がなんとなく解ったうえで、遅い演奏も聴いてみるというのが私のスタンス。*3
それでは、具体的に作品ごとに比較する。
ベートーベン交響曲第9番
指揮者 | ウィルヘルム・フルトヴェングラー | フランス・ブリュッヘン |
---|---|---|
演奏 | バイロイト祝祭管弦楽団(1951) | 18世紀オーケストラ(1992) |
リンク | ||
time | 75'45 | 63'26 |
#1 | 19'10 | 14'26 |
#2 | 11'57 | 13'07 |
#3 | 19'28 | 13'01 |
#4 | 25'10 | 22'52 |
対比のポイントは、支配と自由。
フルトヴェングラーの『バイロイトの第9』は、1951年の演奏と古いが、バイロイト音楽祭での歴史演奏として有名。軍隊の音楽みたいに支配と服従といった抑圧されたテンションで突き進む。
多くの指揮者が、フルトヴェングラーのように高揚感ある演奏をするのに対し、ブリュッヘンは18世紀の楽器を使い、楽曲の良さや当時の雰囲気を引き出すような演奏。
言うなれば、クラシックのアンプラグド *4 をして第9を再評価しようとしたのだと考える。
演奏時間を見て具体的に比較すると、総演奏時間は、ブリュッヘンがフルトヴェングラーより10分以上短く約63分。第9の平均的演奏時間は70分前後だと思うので、ブリュッヘンが特別短いといえる。
第1楽章と第3楽章は、フルトヴェングラーがたっぷりと時間をかける。特に第3楽章は、高揚するフィナーレと対比させる効果をねらったのか、普通よりもゆっくりと小さい音で演奏する。
第4楽章に関しては、フルトヴェングラーとブリュッヘンの演奏時間がそれ程違わない。これは、フルトヴェングラーが、フィナーレを特別スピードを上げて演奏したからである。
そのスピード感の中でも、フルトヴェングラーは演奏中に10秒くらい無音の“間”をつくるという他の指揮者がやらないような、ライブ演奏ならではの“タメ”をつくっている。
合唱を比較すると、フルトヴェンフラーの合唱団は、緊迫した感じで宗教的な勢いて進み、なんと最後は突然死のような終わり方をする。
ブリュッヘンの合唱団は、個人個人が楽しんでいるような自由な感じ。
対比のポイントは、演奏時間。
チェリビダッケは晩年とてもスローで精緻な演奏をしたが、若いときの、このブラームスはスピード感ある演奏なので、同一人物でもこんなに違うということを含めて見てみたい。
チェリビダッケ1945年の演奏は若い時期のもの。第1楽章がとにかく早い。早く切り上げたいみたいに音をかぶせてくる感じで、何をあせっているのかと思う。
第2楽章以降は、楽曲が持つロマン的感情を豊かに伝える演奏をしているように思う。
激しい感情を表に出すような演奏で、後期の演奏との違いを味わうことができる。
2枚目はチェリビダッケ後期の演奏。オーケストラの音が澄み切っている。*5
演奏はゆっくりだが、ロマンを感じさせる演奏ではない。何かを積み上げていく感じ。美の極致と表現した解説者もいた。
注意して聴くと楽団を鼓舞するチェリビダッケの声が聞こえてくる。特に第4楽章のフィナーレでは、その声を今か今かと待ち構えてしまう。
さて、クライバーは演奏のテンポが早い指揮者。総演奏時間を晩年のチェリビダッケと比べると1.5割増のスピードで演奏する。とても聴きやすく、CD屋で視聴したときは、気付くと第1楽章の中盤まで過ぎていた。
今日改めて聴き直すと、チェリビダッケの若い時期の少々アクの強い演奏に比べると、ある意味見通しがよすぎる感じか。
■MEMO■ブラームスの聴き方?
ブラームスを最初に聞いたのは朝比奈隆の全集だった。正直、交響曲の第1番から第4番まで違いが判らなかった。かろうじて第3番の第3楽章と第4番の第3楽章が印象に残った程度。
その後、ジョージ・セルやカルロス・クライバー指揮の比較的テンポの速い作品を聴いて、朝比奈隆の演奏が遅いんだと判り、なんとなく違いが判るようになってからはブラームスの作品を楽しめるようになった。
ブラームスを聴いていると、物事を考えている時の思考の動きを思い出す。「あーでもない、こーでもない」と迷ってぐずぐずしたり、行ったり来たりしたかと思うと、「思い立ったが吉日」みたいに急にテンションが上がってアゲアゲ気分でフィナーレに突入する。
そのフィナーレも終わりかとおもうと、その次がある。ブラームスという人は余程メロディが豊富に浮かぶ人だったようだ。
今では、ブラームスを朝比奈隆やチェリビダッケのように比較的遅い演奏でも聴いているし、ブルックナーなど荘厳な作品では、朝比奈隆を選ぶようになった。
シベリウスヴァイオリン協奏曲
演奏者 | 五嶋みどり | ギドン・クレーメル | ヤッシャ・ハイフェッツ |
---|---|---|---|
指揮者 | ズービン・メータ | リッカルド・ムーティ | ワルター・ヘンドル |
楽団 | イスラエルフィル(1993) | フィルハーモニア管弦楽団(1982) | シカゴ交響楽団(1959) |
リンク | asin:B0007N36NI | ||
time | 32'24 | 31'23 | 26'33 |
#1 | 16'27 | 15'48 | 13'34 |
#2 | 8'11 | 8'38 | 6'17 |
#3 | 7'46 | 6'57 | 6'42 |
ヴァイオリンを弾く知人に「シベリウスが好きだ」と言ったところ、シベリウスは日本人好みなのだという。
ヴァイオリン協奏曲といえば、ベートーベン、ブラームス、メンデルスゾーンの作品が“3大ヴァイオリン協奏曲”とされる他、チャイコフスキーの作品も有名だ。
“私の3大ヴァイオリン協奏曲”は、シベリウス、メンデルスゾーン、チャイコフスキーだ。
なので、シベリウスの作品について3人のバイオリン奏者で聴き比べた。
対比のポイントは、演奏スタイル。
五嶋みどりは“鉄板少女アカネ”ならぬ”ヴァイオリン少女ミドリ“、クレーメルは“芸術家”、ハイフェッツは“職人”のイメージ。
みどりは、ロマンたっぷりに少女が一生懸命母親に語りかけるように弾く。クレーメルは「1回限り」を意識した演奏をする。ハイフェッツは、何百回弾くうちの1回という感じで職人的に淡々と弾く。
演奏時間で比べるとハイフェッツがダントツに早い。
第2楽章アダージョは、みどりは感情を込めて弾く、クレーメルは感情を廃止、建築物を構築するかのように弾く。ハイフェッツは上手に弾く。
■MEMO■演奏会でのリクエスト
ある地域の会合に参加したとき、ヴァイオリン演奏家が来て演奏してくれたことがあった。予定の演目が終わったあと、演奏家がリクエストを会場の人々に促した(それも段取りの1つだったのだろう)が、演奏家が弾ける曲がなかなか出なかった。
そこで、私は思い切って「クライスラーの『愛のよろこび』!」と声を出したところ、演奏家はホッとした感じで、弾き始めた。
その後会場からも『荒城の月』などリクエストが出て無事に演奏会は終了した。
終了後の懇親会で演奏家から、「あの時は助かりました。音楽をやられているのですか?」と訊かれたが、その当時流行っていた「葉加瀬太郎率いるクライスラー&カンパニーの演奏で知っていただけです」と答えたのだった。
以上。
若干解説本の受け売りもあるし、抽象的になったが、いろいろな演奏があることの一例としてまとめることができたと思う。
次回は、”一生聴ける”がテーマだもン。
next
*1:なぜなら、雑誌はページをパラパラめくって面白いと思う記事を読む。特集記事や目立つ記事ではないが、興味を引くページがあると思う。クラシックも、有名なフレーズ以外に個人個人がそれぞれ「いいな」と感じる場所が必ずあると考える。そういう部分を聞き逃すのはもったいない。
*2:例えば、『のだめカンタービレ』で、バイオリン奏者(峰龍太郎 … 瑛太)が千秋先輩(玉木宏)のピアノ伴奏に対して「来て欲しい時にくる」と感動している場面があった。CDを聴いていても、そう思える演奏とそうでもない演奏がある。
*3:なお、私は、聴いた結果、全然良いと思わない時は、無理して聴かないようにしている。「そのうち好きになるかもしれない」くらいに思っている。
*4:ロックやポップスで、エレキギターなどの電子楽器を敢えて使わない『MTVアンプラグド』という番組があり、電子音の装飾を取り払った結果、メロディそのものの良さが引き立つなど、くつろいだ雰囲気で音楽を再発見することができる。
*5:チェリビダッケは、とてもチューニングにこだわった指揮者だった。