I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

理論×教科書(上)

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎


強い国はどうやって作られるか、題名の「銃・病原菌・鉄」を持つ前提として、その環境について書かれている。
世界の各大陸における人類の発展を、まるで比較実験のように客観的事実に基づき独自の理論をあてはめて論述しており明快だ。


この理論を日本にあてはめた記述はなかったので、これをやってみようと考えた。


まず、この本が説く理論について考える。
人類の発展形というのは以下のような流れと理解した。


狩猟採集社会→食糧生産に適した作物がその地域にある、又は伝来する→農耕社会→家畜に適した動物(早育、従順)がその地域に居る、又は伝来する→家畜による生産力と運搬力の増そして伝染病に対する抗体を持つ→定住により多くの技術蓄積保管可能→馬等により人間の活動範囲増→鉄による農具、運搬能力の増(鍬、車輪)その他発明、又は伝来→食糧増加→→人口密度増→首長社会→軍事的外圧、紛争解決、共同作業(堤防づくり等)の必要性増→国家→律令(紛争解決、税及び分配)や文字の発明、又は伝来→分業(官僚、軍人)→他地域との間の競争、物や情報の流通競争や他地域からの伝来を受け入れる社会の許容力、多様性を認める風土→さらなる発明を生かす文化的成熟や統治機構の強固化、戦略的な抜け目無さの習得→宗教による統治機構の強固化→銃や病原菌(伝染病を敵にうつす)による勢力拡大


この赤字の部分、特に

  1. 食糧生産に適した作物がその地域にある、又は伝来する
  2. 家畜に適した動物(早育、従順)がその地域に居る、又は伝来する
  3. 他地域との間の競争、物や情報の流通がある
  4. 競争や他地域からの伝来を受け入れる社会の許容力、多様性を認める風土

こういった環境によって、そこに暮らす人々の運命は決まった。
環境がすべてを決定したのであって、人種の優劣ではないという点をこの本は強調する。


例えば、なぜスペインがインカ帝国を征服できて、なぜその逆でなかったのか?
この本はこのような問いに答える形で進行する。
この問の答えはこうだ。
スペインで食糧生産による定住生活が行われ、牛や豚などの家畜に畑を耕したり運搬をさせることで生産性が向上して人口が増加し、牛馬や鉄車輪により人やモノの移動が容易となり、ヨーロッパ他国との競争や情報の行き来による切磋琢磨により文字や鉄製の武器等の発明改良を重ね、インカ帝国よりも多くの情報力や攻撃力を持てる「環境」にあったから。


一方、インカ帝国には、米、小麦、牛、豚、馬がなかった。他地域との切磋琢磨がなく、鉄製武器・運搬具、庶民が使える文字などがなかった。
正直、アメリカ大陸に米、小麦、牛、豚、馬!がなかったとは驚きだ。アメリカといえば穀倉地帯や、馬にまたがるインディアンのイメージがあるが、これらはコロンブス以降に持ち込まれた。
また、北米のインカ帝国、南米のアステカ帝国などの文明があったが、相互の行き来はなく(地形的に行き来難)、誤解を恐れずにいれば世間知らずだったために征服されてしまった。
この本によると、8万の軍隊のインカ帝国の王は、200人に満たないピサロ達スペイン人によって捕らえられた。
さらに、インカ帝国の住民ほとんどがスペイン人に伝染病をうつされて死んでしまった。新大陸には牛や豚がいなかったので、人々は牛や豚がもたらす伝染病の耐性を持たなかったのである。


この本によれば、アメリカ大陸以外に、オーストラリア大陸やアフリカ大陸も同様に、食糧生産に適した植物と家畜に適した動物を得られなかった。
食糧生産に見込みのある米や小麦など穀物の種が極めて少なかったため、それ以外の作物により生活していた。見込みのある作物があっても南北に長い大陸では気候の差が大きいため同じように栽培できなかった。
また、家畜に適する大型動物は過去に絶滅したか、残っていても気性が荒いなどの問題があり家畜にできなかった。
さらに、地形、砂漠等の障害により他地域との交流が少なく、鉄製武器・運搬具、庶民が使える文字など文明の伝来の機会がなく、また、他地域との切磋琢磨もなかったので、競争の必要にかられての生産性の向上や技術革新、銃などの攻撃力のある武器もなかった。さらに、家畜がいなかったことは牛や豚がもたらす伝染病への耐性を持たなかった。
結果的に、銃・病原菌・鉄を持たなかったこれら地域の人々はのちのちユーラシア大陸からやってくる人々に征服されてしまうのである。


ユーラシア大陸は銃・病原菌・鉄を持つことのできた唯一最大の大陸である。なお、この本ではサハラ以北のアフリカを人間の行き来からみてユーラシアと位置づけている。
ユーラシア大陸には米、小麦、牛、豚があり、大陸も横長で気候の差が少ないため、見込みのある作物は他地域でも栽培することができた。また大陸の人口も多く、お互いの行き来もあったため他地域との切磋琢磨があり、文字や技術発明が行き渡った。
しかし、食料生産に適した米や小麦も昔から今のようではなく、家畜も元から人間に従っていたわけではなかった。
これらは、1万3千年の人類の歴史上すこしずつ人間が獲得してきたものだ。
実際、人類が「米」は食糧生産に適しているとか、「牛」は家畜に適しているという発見は何千年に1回というようなペースで、いわば突然変異によって人類が獲得してきたものである。
たとえば、米や小麦は、かつては雑草であったが、粒が大きくて早く育ち、刈り取りもしやすいし、丈夫で毎年全てがいっせいに発芽し同時期に収穫期を迎えるという、人間にとって都合のよい種を長い年月かけて選別栽培してきた結果に今がある。
家畜も、餌が少なくて早く育ちおとなしい動物を人間が見つけて育ててきた経緯がある。アフリカにはシマウマやバッファローやサイなど多くの動物がいるが、みな気性が荒かったり、餌が多く必要で成長が遅かったりで家畜化できなかった。


要するに、ユーラシア大陸は食糧生産や家畜に適した動植物が多く自生していた大陸であると同時に、人口が多かったので、その種を見つけたり的確な育成方法を見つけたりするチャンスが多かった。実際、食糧生産の開始はユーラシア大陸はその他の大陸より5千年早く始まっている。
また、人口が大きい事により発明が起きる可能性も高かった。実際、主な文字や宗教はユーラシア大陸で発祥。楔形文字象形文字、漢字、キリスト教ヒンズー教イスラム教、仏教など。


では、ユーラシア大陸の間で文明に優劣が出たとすると、それはどうしてであろうか。
この本によると、西暦1500年においてはヨーロッパが一番遅れていたという。
たしかに、火薬、羅針盤、紙は中国で発明されているし、上記の文字や宗教も、いわゆる肥沃な三日月地帯で起こっている。
しかし、1500年以降をみると、ヨーロッパは産業革命大航海時代により新大陸やアフリカ、オーストラリアを侵略していくのである。
中国をみると、この本は「中国の統一とヨーロッパの不統一」という表現をしている。
中国は王朝の変遷はあれ、統一的な政治体制がしかれてきた。文字も一種類。このため多様性を損なった。例えば、造船技術や紡績技術が当時の宮廷に否定されたため、中国はこの分野で遅れた。
一方、ヨーロッパは統一されたことがなかった。小国が独自の民族と言語で群雄割拠し多様性を持っていた。例えば、コロンブスは新大陸への探険援助をフランスを含む4人の王侯に断られて5人目スペインの国王にようやく認められた。もし、ヨーロッパが統一されていてひとつの政治判断で物事が決まっていたならば、コロンブスの新大陸発見はなかったかもしれない。
ところで、いわゆる肥沃な三日月地帯においてはどうか。中央アジアの騎馬遊牧民の襲撃による被害を受けていた可能性がある。しかし、騎馬遊牧民は西ヨーロッパまでくることはなかったためヨーロッパはその被害にあわなかったとしている。
いずれにせよ、中国といわゆる肥沃な三日月地帯は、これらの国々から各地域に移住していった人々や、これらの国々が歴史的に周辺国に与えてきた影響により、現代においても世界を支配していると本書は述べている。
私としては、中国が近代においてやや遅れをとったのは、やはり内向きであり競争性や多様性を欠いたためと思うし、いわゆる肥沃な三日月地帯においては、政治的不安定の印象が大きい。


さて、日本である。
日本は、ユーラシアの勇である中国・ロシアを破った国である。
上記の理論を当てはめて日本の発展を考えるとどうなるのか。
『もういちど読む山川日本史』を片手に考えていく。


次回は明日。