I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

破戒6


島崎藤村の『破戒』を読む。
読後を待たずに感想文を書く。
主人公と一緒に自分の心の動きをつづるのだ。


続き。


主人公がカミングアウトした。


反応。


生徒は校長に主人公を辞めさせないでほしいと嘆願した。


お志保「お父親さんやお母親さんの血筋がどんなで御座いましょうと、それは瀬川さんの知ったことじゃ御座いますまい」


このように周囲がすべてウエルカムだったかというと、結局主人公は、アメリカのテキサスに旅立つという結末から推して知るべし。


しかし、生徒が引き止めてくれた、そして、お志保が生きていたことに希望がある。
実は、主人公はカミングアウトの前にお志保に素性を打ち明けていたというのだ。
そして主人公とお志保は夫婦になる。
無二の親友の銀之助が、主人公のために走り回って結びつけた縁だ。


アメリカに行くのも周囲が段取りをつけてくれた話しだ。
なんだか、自分が困ったときに周囲が思いがけない助け船を出してくれる、手を尽くしてくれるっているのは、既視感があるなあ。
そうだ、もっと周囲を頼っていい、ヘルプを出していいんだって思ったなあ。


これまでの、私の感想の連載において、冒頭、人間は自分の脳内に勝手に限界をつくってしまうと書いた。
また、カミングアウトは周囲の反応は五分五分で吉とも凶とも出ると書いた。
個人の社会的な埋没や調和から、個人主義の萌芽についても書いた。


思い切って自分を出す「全部出さなきゃすっきりしない」そうすればいいのだ。
でも、みんながみんな全部出していたら世の中まとまりがつかなくなってしまう。
それでも、少なくとも相手に対する思いやりや立場を尊重できる人間になりたいとこの小説を読んで思った。


ハッピーエンドなのかと思うと、気になる文章が最後にくる。

「御機嫌よう」
それが最後にお志保をみた時の丑松の言葉であった。


たしかに見方によれば、体よく日本から追い出されたという結論にもなる。
作者は、結末は読者に、読み継がれる時代に委ねたのだろうか。


だとしたら、私は私なりの結論を見出そう。
ううん。


主人公は日本を離れ、いずれ経験を積んで日本に戻り、日本の教育に大きく貢献する。
つまり日本で生活していく。
尊敬する先輩、猪子蓮太郎のように、自分の出身に折り合いをつけて生活していくのでなければ、自分を取り戻したともいえず、父の戒めから本当に自由になったとはいえず、父の愛情に報いることもできないと考える。


僕が僕であるために』という尾崎豊さんの歌がある。
この『破戒』という小説に対するアンサーソングのように私には思えた。

僕が僕であるために尾崎豊


「この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ」
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで」
「僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる」


さて、読み終わって感想も書いた。
「解説」を読むとするか。