I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

破戒5


島崎藤村の『破戒』を読む。
読後を待たずに感想文を書く。
主人公と一緒に自分の心の動きをつづるのだ。

続き。


対比、なのだろうか。


寺の住職が若い娘に手を出すというエピソードが描かれる。


そのあとで、主人公の出身に対する具体的な偏見に関する会話が、この小説で初めて描かれる。
「一種特別な臭気が有ると言うじゃないか」
「皮膚の色からして、普通の人間とは違っていらあね」
「性質が非常に僻んでいるサ」


”偏見”


寺の住職は清廉潔白で見識もあるというのも、ひとつの偏見。
主人公の出身を卑しく考えるのも偏見。


寺の住職の愚行、主人公の苦悩。


どちらも、社会の一定の決めつけ、偏見がその人の振る舞いを窮屈にさせている例としてみれば、差別は特定の人だけのものではない。


そういえば、作詞家の秋元康氏が雑誌の対談で「AKB48の活動には、アイドルはこれはしてはいけない、を無くすようにしている。それが総選挙やじゃんけん選抜を生み出した。」と述べていた。


私もこの社会には「あるべき姿」を強制する圧力が強いと感じる。
特に政治家は、一言で引きずり下ろされる。
また、節約や絆など全体に対する同調が第一原則とされる。


誤解を恐れずに言えば、「差別」も「絆」も異物の排除をバックグラウンドにかかえている点で根は同じだ。
まだ、差別の方が自覚的であるだけましかもしれないくらいだ。


偏見や同調圧力について、そのひとつ一つが果たして正しいのか、無自覚に流されるでも、無視するでもなく、自由な発想のあったほうがハッピーだということは、時代を問わず言えると思うし、本小説のテーマでもあると思う。


ただし、流れに立ち止まる態度は、目立つし孤独で足下がすくわれそうで危うく疲れる。それが主人公の苦悩である。


その主人公の心の支えである先輩の思想家が暴漢に教われて命を落とす。
同じ境遇を持つ先輩は、出身を恥とせず公にし堂々と生きた。
出身を隠した「偽りの人生」に決別すべく、主人公は、重大な決意をする。


自分の出身を公にすること、それは差別の暴風に身をさらすことを意味する。父の戒め「一生隠せ」を破る、すなわち破戒である。


このとき、主人公が心を寄せるお志保という女性の行方が分からなくなっている。
何回か読み直したが、主人公はお志保が死んだと思っているが、そう決めつける文章はなかったと思う。
これは、おそらく作者が、主人公の破戒の動機を、社会に対するものであり、お志保に対して自分を受け入れて欲しくて出身を明らかにするというバックグラウンドの存在を誤解されたくなかったからなのだろうか。


同時に、小学校の校長室でも緊張が高まっていた。
教職員のなかに被差別出身者がいるという噂の対処として、主人公を学校から放り出す相談をしていた。


「教職員のなかに一人まぎれこんでいるなんて噂は、学校に対する侮辱である」という趣旨の発言が飛ぶ。
差別が恐ろしいのは、仲間内に差別の対象者があると、その組織全体の不名誉なり侮辱であると受け止められることが分かる。
このような組織の論理が被差別者を弾き出す原動力であり、一番近い人達からの手のひら返し、裏切りが怖いと私は考える。


教室では生徒を前に主人公が告白を始める。
「この山国に住む人々を分けて見ると、大凡五通りに別れています。それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶と、それからまだ外に・・・・・」「私はその一人です」


当時は、職業などで細かい差別構造が5通りあって、主人公はその外に位置づけられる出自であったことが分かる。
このことから、的外れを恐れずにいえば、差別というか人間に上下をつける社会意識は、最下層のそれの問題以外にも存在していたことが伺える。
例えば、小作人が地主に対して低い位置に置かれているエピソードなども描かれている。


だから『破戒』の感想文も、主人公が差別されて可哀想でした、では不十分である。
可哀想に描かれているのは、むしろ僧侶であり、お百姓であり、政治家である。
主人公が描かれているのは生活の貧困等ではなく、内心の葛藤だ。
主人公の葛藤は、社会と個人における個人、川の流れに立ちすくむ個人の存在、個人主義の台頭を表しているのではないか。


旧も、商人でも、お百姓でも、僧侶でもない、「自分」という存在が高らかに響き渡る瞬間が、破戒なのではないか。


また、主人公のカミングアウトが、教室で生徒の前で行われた点が切ない。
生徒の前で告白して、何度も「許してください」を言い続けるっていう。
自分だったら上司である校長にまず言ってしまっていただろうが、誠実に伝えるべき向きが生徒なのは確かにその通りだ。


さて、現在社会に目を向けると 、個人主義の帰結が晩婚化や少子化や社会の有機的連携の崩壊に行き着いたあげく、どことなく誰かに「許してください」を言わせる機会を探しているような。
島崎藤村が今に生きていたら何と言っただろうか。


さて、カミングアウト果たした主人公は自分を手に入れることができたのだろうか、代償はどんなだっただろうか。
さらに読み進めるとするか。