I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

まどか☆マギカ


まどか☆マギカの感想文。
ネタバレから入りますし、見ない人にはまるで意味が分からないことでしょう。




インターネット上で拾った誰かの感想を引用し、それに対する私の意見を述べていきます。


>魔女化するときに人間に戻してとゆう願いならいいんじゃないの?という人もいるかもしれないが、そうすると希望だけが多くなり、絶望がうまれなくなる。 おそらくそれはあまりにも不条理すぎて、いくら因果の特異点でもかなえられなかった・・・とか?



いや、その場合また、人⇒魔法少女へ再契約し、何度でも願いをかなえられると誰かが気付いて一見希望しかないようだが、、、

、、、魔女化する寸前まで心が絶望を痛感しなきゃ人に戻り再契約できないので、次の願いは生まれない。

絶望なしでは新たな希望は維持できないことになる。

これを読んで、人生とはまさにこういうこと。ファンタジーではなく、現実の世界でも同じことだと思った。


>一つだけ気になる点があるとすれば、10話でまどかがほむらに「QBにだまされる前の馬鹿な私を助けてくれないかな」ってセリフ。

そしたら自分は助かるけど、すでに魔法少女であるほむらのことは何も配慮してないわけで。それをほむら本人に言うのはどうかと。
わたし一人を逃がしてといってるようなもんだ。



10話の台詞をもうちょっと長く解説すると、今の私はもう手遅れなんで、ほむらちゃんに過去に戻って未来を変える力があるなら、過去の私が魔法少女にならないように助けてもらえるかな?馬鹿な私にそういう希望のある未来を与えてやって下さい。て感じ。

付け加えるなら、まどかが魔法少女になることの意味は、個人的な問題ではなく、魔法少女魔女化世界滅亡なので、×「わたし一人」○「世界」を助けてと言っている。


結局、魔獣は、魔女の概念がなくなったため、希望と絶望の量は同じ、みたいな概念を維持するため、もしくは魔法少女の存在理由を維持するため)に発生したんだと思う。


人と魔が切り離せないという宿命、人間の業を肯定する結末を何度も噛み締める。
題名『まどか☆マギカ』で、マギカが出て来ないとずっと思ってたけど、マギカとはラテン語で「魔法の〜」を意味するらしい。
古代ローマの時代から魔の概念があったのだなとしみじみ思う。人の反対が魔なのか、人は魔を包括する存在なのか難しいけれど、人と魔=業は切り離せないもんだなと。


魔女の消滅の代わりに魔獣が出現・・・憎悪は消えることがないんだね
まどかが願った世界と違ったとしたら、何だか切なくなるなぁ


さらには、まどかが最後に発した願いは、宿命を回避するたった一つの冴えた解決策に思えたけれど、結局は・・・抜本解決にはならない。
無情と書くべきか、無常と書くべきか、これも人の宿命に通ずると。
それと、現実社会において貧困や戦争がなくならず、多くの人がそれを望まないとしても、人間が出来る改革や改善は、ちょっとずつしか進まない現状とも符合すると。


12話ラストのCパート、映画化や2期の布石ではなくて、「ほむらのソウルジェムが限界を迎えたので、まどかが迎えにきた」って説があるみたいだけど、それが一番しっくりくるね。


そうですな。泣けますな。そして実は誰も救われていないっていう。
なんだか、「避けられない戦い」の無情を描いたガンダムの感想にダブりました。


特に、さやかの物語は、本当に切ない。回避できなかったのか考えると辛い。親友と三角関係になって勝ち目がないと鬱になるのが、諦めが早すぎだと思ってみてた。しかし、よく考えると、魔法少女になって、肉体が抜け殻になったと知り、人間と恋仲になれないという運命を悟ったからか、それなら絶望すると納得した。。




本作の脚本家がラジオ出演したときに、ニーチェとかカントとか哲学的なパートは外注して専門家に助言を貰っている、自分は哲学を深く理解しているわけではないと語った。
何かがひっくり返る、裏切られる世界観は、左翼だった父親の影響。ソ連は楽園だと信じて運動していたが、後にソビエトの収容所のひどい話などが聞こえてきて、がっかりしたという話を幼い頃聞かされた。


ところで、再構築された世界でQBが、「元の世界のこと聞かされても、それを確かめられなけれぼ、君の頭の中の夢物語と区別がつかない」という意味の発言をする。
この哲学的な言葉、今の自分に当てはめて吟味したい。自分の目や耳などを使って世界を認識しているつもりだけど、目の前の物質や周りの人が「実在」なのか、脳が創り上げた「架空」なのか証明方法を知らない。
ただし、自分では思いつかないようなニュースや出来事が毎日起きるから、自分が創り上げた世界ではなさそうだ。しかし、毎日、iPhoneを同期するように情報がどこかから脳に転送されて来るのかもしれないし。
何が言いたいのかというと、目の前の世界が、実在か架空かなんて、この世界の住人に問うても意味がないでしょう。ましてや、別の世界の住人に問うても先のQBのような言葉を返されるだけでしょう。
さらに、架空だからといって価値がないとも言えないでしょう。
いやいや、「夢」と「現実」を区別してますよね、と反論されるかもしれないが、それはどちらにウェイトを置いているかの問題でしょう。


目の前にある世界、それが全て。
しかし、個人の知識や思い込みにより一人ひとりが別々の世界に生きているとも言える。
個人と個人に橋をかけ、相互理解や認識の修正を図るのは、言葉であったり、哲学・宗教であったり、小説・アニメなどのコンテンツなのかなと。
それを希望と呼ぶなら、それでいいんじゃないですか。




ラストシーンで、ほむらが死んだことに誰も気づいてないのな…。

ほむほむ、おつかれ;;


個人的には11話で終了でもよかった。本作の無常観や業の肯定は十分に伝わったと思うから。しかし、それだとほむらがまた時空をループしてやり直し続けることを意味するから、その運命からほむらを解放したのが12話なのかなと。
でも、それは死の肯定であり、けっこうエグい感想を述べている自分に気付かされる。それがこの作品らしさ、つまり無自覚に潜む己の魔を映す鏡のような、まさに魔力を本作品は持っている。


まあ、この感想は買いかぶりかもしれず、魔法少女次々と死んで行く話という作品プロットにしたがい淡々と描いた結果なだけかもしれないっていう。




文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を、2012年には第11回東京アニメアワードテレビ部門優秀作品賞を受賞した。
台湾、韓国、イタリアなどで視聴率やDVD売上げで一位となるほか、アメリカ、フランス、オーストラリア、メキシコなど十数カ国で放映されている。