- 出版社/メーカー: 角川映画
- 発売日: 2010/12/18
- メディア: DVD
- 購入: 17人 クリック: 464回
- この商品を含むブログ (40件) を見る
劇場版『涼宮ハルヒの消失』をDVDでみた。
周回遅れの感想文。
誰にでもあてはまる感想ではないが、3点書く。
(ストーリーに触れる部分がある)
●思春期を越える●
改変された世界で、キョンが初めて涼宮ハルヒに声をかけるシーン。
この場面は私にとって重要。
なぜなら、私は、つい最近父とこのような会話をした。
「妹は早くに家を出たが、お前はまだお父さんのところに居るな」
「え、こっちは就職して一人で生活して、両親に世話になってないじゃないか、自立してるよ俺は」
要するに経済的・生活的に自立していても、自分の家庭を持たないうちは、まだ親元に居るも同然だという意識を父がもっているということだ。
言い換えれば、親元を離れて、自分の居場所を社会で獲得するということ、それが、社会的な自立ということ。
本作品は、これまで受身的だったキョンが、自分の居場所を再獲得する物語であり、ハルヒに声をかける場面は、とても重要な通過儀式だと思う。
「おいおい、俺はこんな臆病者だったっけ?」
「動け 動け!」
その意味では、改変された世界で「SOS団」が「全員集合」した時点で本作品が終わったとしても、私としては十分に意味のある作品。
社会とはこういうものか、というヒントを得た。
キョンがハルヒを求めたのと同様、長門有希はキョンを想い、自分の望む世界に向けたアクションを起こした。
この2つのストーリーが心に響く。
自分の行動に生かしたいものだ。
なお、同様の思春期作品として、昨年公開の『ヒックとドラゴン』がある。
●近くにいるのに言えない●
本作品の終わりの方で、キョンが長門に頼りきりだったと侘び、「言ってくれれば対処のしようもあった」と話すシーンがある。
長門は、話したとしても同じ結果を招いただろうと冷静。
私は、大切な人に対して特に、”言っても無駄”、”言えない”という思いになるのは、止めようと言いたい。
また、「言ってくれればいいのに」という反応は、若干無責任な感じもするが、自分の経験から言っても、周囲の対応はこれ以上でも以下でもないだろう。
日本では自殺者が年間3万人を越える。少し少しの重荷が積み重なって結果、自殺を選ぶ苦しみは想像もできない。
しかし、大切な人が”消失”し、とり残された人間の喪失感は、本作品をみた人ならその一端を想像できるだろう。
”言えない”理由として、私が考えているのは、自分の社会的な役割を知らず知らずのうちに「演じて」いて、自分の苦悩を打ち明けるのは、社会から期待されている役割に反する。演じきれなければ社会との接点をなくし、それは死にも等しいと考えるから。もしくは、自分の生よりも、尊厳をまもりたいから。
最近、うつ病の患者と交流する機会があったが、いい意味で自尊心があり、優しい心の持ち主だった。
中でも「今は病気で家族のために何もしてやれません。自分ができるのは、辛い気持ちを家庭に持ちこまないよう、通所施設からの帰宅前に気持ちをリセットすることです」に、ガチ泣きしそうになった。
本作品における重要なシーン、「俺は楽しかったのか」「別の世界の方がいいのか」キョンが自問自答する場面において、おそらく自殺を考えている人だったらどちらも選べない。元の世界にも戻れないし、別の世界を選ぶことは自責の念からできない。意欲をなくし、選択もできず、消失を願う。
そんなときが来たら、まずは役所の相談室などに、自分の状況を伝えることをしてと、これは未来の自分へのメッセージ。
キョンだって、友人との何気ない会話から”鍵”に辿りついたんだから。
そして、自分に近い人に打ち明けたとき、結局驚かれることになるかもしれないが、長門の心の変化に驚くのと同じで、その驚愕は本人を否定するものではないと私は信ずる。
本作品において、キョンが長門に対する思いを、病院の屋上で長々と話す中身は、長門の切ない心情にストレートに応えるものではない(キョンの自覚の有無は不明)。
話せば話すほど距離を実感させる面もあるが、それでも、キョンの気持ちが長門に真っ直ぐ向き合っている事は確かであり、そこから勇気付けられるものがある。
自分の行動に生かしたいものだ。
なお、同様の作品として、日本テレビで過去に放送された『彼女が死んじゃった』がある。
脚本:一色伸幸
出演:長瀬智也,深田恭子,香川照之,木村佳乃(少女時代 夏帆)
- 作者: 一色伸幸
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/10/09
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
●楽しいのか●
キョン自ら「楽しいと思わなかったのか」と問いかける場面がある。
私は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の「気持ちいいの?」を思い出した。
さらに、エヴァンゲリオンの庵野監督の言葉「週一回のアニメだけが楽しみの人、その30分にしか自分の生を生きていない人がいる」を思い起こす。
この言葉を、生活のなかに「彩り」を持てというメッセージなのかなあと受け止めたが、本作品にも同様の成分が含まれていると思った。
そして気付けと。
本作品の冒頭で、改変された世界の、ハルヒのいない学校風景が長々と続くのは辛く、キョンは世界の中心にハルヒがいた変わった世界の大切さに気付き行動し、最後には「当事者として、自分がこの世界を積極的にまもる側にまわった」と自覚する。
実際、生活に彩りを与えるものが、彼女だとか友人との交流であれば”リア充”と呼ばれるのかもしれないし、家族や育児を大切にするのは尊いこと。
仕事であっても勉強であっても、前向きな姿勢は素敵だ。
趣味の世界にこそ人間性が豊かに表現されるという人もいる。
そんな生活に水をかけ、すべてが灰色に見えるような出来事が突如として起きる事も確かで心傷ましい。
そもそも自分には何もないと考える向きもあるだろう。それでも、これまで生きてきたこと、関わっている事に目を向けて、一つひとつを再評価する。
「求める」のではなく「見いだす」。これは、ヘルマン・ヘッセ著『シッダールタ』の言葉。
先のうつ病患者との交流のなかで、精神科医に、うつ病が治るとはどういうことかと尋ねたときの返事が残っている。
「人生を楽しむということだよ」
ラストシーン、部室のドアを晴れ晴れしく開き、何が入っているのか分からない鍋に挑まんとするその意気や良し。
そこに、ハルヒがいる、長門がいる、仲間がいると信じるから、そしてそれは、自分で獲得した世界だから。
楽しめる。
自分の行動に生かしたいものだ。