I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

風立ちぬ


宮崎駿風立ちぬ」観た。


映画の中で夢のシーンが多くて、映画という夢の中、でまた夢を見せられるのか、すこしウンザリした。
しかし、気付いたのは、逆に夢以外のシーンのリアリティが高まる効果があること。


宮崎駿氏は、東日本大震災後、もうファンタジーつまり女の子が別の世界に行ってどうなったという物語を提供する時代ではないと言っていた。


この言葉もあり、これまでのジブリ作品の多くは、本作品でいえば、映画の登場人物が見た夢のような、想像の世界の話であり、我々はそれを楽しんできた。


本作品の夢の世界は、夢と対比してリアリティを強調する構図から逆に、これまでのジブリ作品におけるファンタジー否定とすら思え、宮崎駿氏はぶっとんでるなと思った。


このようなファンタジー否定感や、作品中の音楽がこれまでのナウシカやトトロ作品挿入歌のオマージュとも思える編曲からみて、宮崎氏は、初めから本作品を最後とする気だったように思えた。


また、堀辰雄小説「風たちぬ」オマージュとしての、ラブロマンスについては、一つの語り口としては相当にオーソドックスで型にはまったストーリーで、私は感動したけど、今の若い人がどう思うのかなあと、若くてきれいで夫に従順な良妻像の再生産にすぎない批判もあるかなあと感じた。


さらには、日本が中国や朝鮮を侵略し、国際連盟を脱退した歴史にはっきり触れており、若い人達に日本の戦争の歴史を知ってもらいたいという、強いメッセージ性があった。


戦争に用いる小型飛行機の設計を、飛行機は美しく、呪われた夢だと評した。
原発事故の今から振り返ると、科学の発展は本当に使う人次第だなと思った。


また、全体的に人々に活気が満ちており、海外からどんどん新しいものを吸収していく、日本の勢いが描かれていた。
日本人に活力を取り戻せってことかなと思ったけど、人々はそれぞれの輪の中で、今でも精一杯やっているのだけれど、その輪がどうも小さくなってきていることが日本の萎縮感だなと。


さらには、歴史的な活気の行き着く先というものを考えると、案外、冷静な感じのいまの十代、二十代はが描く未来はどこに向かうのだろうか。


案外、「戦争世代」と、「昭和世代」、「平成世代」のなかで、「昭和世代」が、戦争世代の人々が築いた高度成長時代の中で苦労なく育ち、恩恵を受けるだけで、子も産まず、あらゆる意味で消費し、平成世代に残すべきスキルも、社会の活力も、なにも残せてないという後ろめたさを少し感じた。