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甲陽軍鑑


甲陽軍鑑 (ちくま学芸文庫)

甲陽軍鑑 (ちくま学芸文庫)


江戸初期の軍学書。二〇巻。武田信玄・勝頼二代の事績・軍法・刑法を記したもの。高坂昌信の遺稿に仮託して,小幡景憲が編。(大辞林


信玄「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」(諸説あり)


理由もなく異国に侵略するのは盗人と同じである。それが武功とされるのは武略があるからである。


侍には4つあり、第一に剛強にて分別、才覚ある男。第二に剛にして気のきいて、上の人に負けじと働く男。第三に手柄を望み、上・中の人に付いてまわる男、第四に人並みな男。
百人いたら上は2人、中は6人、下は12人、残り80人は人並み。まさにパレートの法則だ。


「臆病な武将」は、気性が愚痴っぽく、他人を妬み、こびへつらい、意志が弱く、物事を深く吟味せず、無慈悲で、人を見る眼を持たず、機敏さに欠け、心が狭く、所領・金銀を根拠もなく分け与え、分別顔をして物事をこねくりまわし、全てを遅滞させる。五万の家臣を抱えても心服する者百人もなし。


長篠の戦いは、武田軍に確実な補給路があり「待ち戦」をすれば勝てたと、甲陽軍鑑は記す。(逆に背後を突かれたとする説あり)
また、2万で7万の軍に対するのは、1人が4人を相手に蛮勇を奮ったとしても無謀だったと述懐する。
さらに、騎乗は主だった武士で、歩兵が槍で突入し、鉄砲で打たれた。


信長と家康の7万の連合軍が長篠に陣を張った。対する武田勝頼は2万。(背後の謙信に対する別部隊1万3千)
合戦の舞台、長篠(愛知県)は十騎が横に並べば一杯となる狭隘の地を調べ尽くし攻めに出た。騎馬隊でなく槍部隊だった。しかし、三重の柵が防御に手厚く、攻撃が切れ負け。


勝頼は、信玄と比較され強気の姿勢を示さざるを得ない「強すぎる武将」であった。一方、信玄は圧倒的優位でしか戦わず、勝っても6割程度が良く、勝ち過ぎは禁物と考えていた。勝頼は父の教えを守れなくて負けた。長篠の負けで武田家が滅びなかったのは、謙信の抑えに残した1万3千の部隊がいたから。信玄の教えが生きた。


甲陽軍鑑)外部サイト
http://www15.plala.or.jp/runapark/WinnersCircle/project3/kouyougunkan.html