今月、少年が母親を殺す事件、少年が自殺する事件が起きた。
これらの事件とはかけ離れてしまうかもしれないが、ちょっと考えたことを書いておく。
親子の関係。これが濃密化している。
子どもに「親が消えるか自分が消えるかの二択しかない」と思わせるような状況にある。
これが言いたい。
理由は、
・高学歴化が進み、親子が一緒に暮らす時間が増えた。ひと昔前なら中学卒業から住み込みで就職ということも多かったはずだが、現在は大学まで親元で暮らし、就職しても親元で暮らすパターンも多い。
・子どもが勉強などで忙しく、家族以外の人間関係を育む活動・交流の場が少なくなっている。
・少子化が進み、親が子どもに注ぐ愛情の密度が増えている。
・社会の格差や情報化に捉われて、人生の「勝ち」「負け」や、世の中の平均的な水準との比較が親子双方のプレッシャーになっている。特に親の子どもに対する期待=コントロールが強くなっている。
これら親子関係の濃密化は、親子のコミュニケーションの有無にかかわらず、無意識的に親子双方にプレッシャーを与えている。
しかし、親に比べて子どもは感受性が豊かな上、狭い世界に住んでいるため、子ども方のストレスが一層大きいものとなっている。
しかも、この低迷する社会情勢では子ども達の多くが閉塞的な未来像*1しか描けないため、濃密な親子関係から逃れる方法としては、親を殺すか自殺するしか見つからなくなっているのではないだろうか。
感覚としては、親か自分かどちらかが「消える」
このことについて、子どもの側は平和的な解決の努力をしてきた。
子どもなりに問題を解決する方法として、子どもが外に家庭とは別の自分の世界をつくるというものがある。これが自発的に勉強やスポーツに昇華されることも多いだろうが、地域の不良グループであったり、学校における「いじめ」という形で発散されることもある。
一方、親は問題に正面から向き合ってきただろうか。
どのようにしたらいだろう。
3つの提案がある。
1 子どもを「操作」しない
親子のコミュニケーションを変える。、
問題は、どういう態度で接するかだと考える。
たとえば、冒頭に挙げた事件が親子の話題にあがったとき、一方的に「親を殺したり自殺したらだめ」という「訓示」で終わるようならば、ウザイだけだ。
一番まずいのは、子どもに対して「操作的」なあまり、子どもの意見を全く聞かないことだ。
「聞かない」というのは、子どもの意見に対し全否定のコメントをするということ。
コミュニケーションするというのは、お互いの意見を尊重することが重要だ。
15歳の高校生がプロのゴルフツアーで優勝する時代だ。
♪石川遼クン(ハニカミ王子)
子どもが「未熟」だと思って接するのは間違いだと思う。
残念な言い方だが、ある程度子どもだって親の社会的地位というのは分かるし、親の長所や短所も見えている。
そんななかで、エラソウに自分の世界観を子どもに押し付けたって子どもに伝わるはずはない。
子どもには言葉ではなく「背中」で語りかけるほかはないと思っている。
つまり、子どもに対して「操作的に」言葉を並べても意味がない。子どもが自分自身で考えるための材料を提供するというスタンスの方がいいと思う。
子どもが親を攻撃するき、その攻撃対象は「親の頭のなかにある親独特の理想の世界、ドグマ」だと考えた方がいい。
親が安住している世界観こそ、子どもが「消したい」ものなのだ。
2つめの解決策は、親子が別居する期間を設けること
夫婦も恋人も仲が悪くなれば別居する。そして上手くいくこともある。
親子は意外と別居することができない。
自然に別居できる期間を、システムとして学校が取り入れたらどうだろうか。
例えば、3ヶ月に1週間は学校の宿舎で寝泊りする、クラスメイト間のホームステイを行う、海外留学をカリキュラムに盛り込む*2というのはどうだろう。いろいろ問題はあるだろうか、子どもの抱える閉塞感を打破するのに役立つのではないだろうか。
冒頭の母親殺し事件では、少年は母親と別居していた。しかし、母親がちょくちょく世話しに部屋を訪れていたという。
それが悪かったなどと言うつもりは絶対ない。
多用なケースがあり、ワンパターンな解決策はないと思いつつ書いている。
3つめは、子どもが外に自分の世界をつくることを親が奨励すること
子どもには家族や学校以外に、自己実現できる場が必要である。
それが親からみて「くだらない」ことであっても本人が本気で望むことであれば、奨励したほうが親子の濃密化解消に役立つと考える。
子どもが勉強以外に、スポーツやボランティアでもなんでもいいけれど、外の世界で、ちょっとした良いことがあったら褒めることが重要である。
褒めるなんて誰でもやっている当たり前のことのようだが、親が子どもから信頼されていないとウザイだけだ。
その辺を踏まえたうえで励行のこと。
以上、長々と書いてきた。
簡単にいうと、
- 子どもの将来をコントロールしようと思わない
- たまには子どもと離れてみる
- 子どもの世界を理解する
ことで、煮詰まった親子関係をブレンドし直すことが必要なのである。
子ども側のスタンス「親を右から左にうけながす」は正解か?・・・
私自身、親のささいな言動にムカつくことがある。
特に自分を信用していないと感じたときに自己否定されたような気分になることもある。
私は、「親の背中を見て育った」タイプである。
早くから「親という存在は重要であるが、世の中に存在する2人の人間に自分の人生が影響されるのはつまらない*3」と考えて、反抗しないで、右から左にうけながしてきて今がある。
しかし、世の中のすべてに対して反抗しないて、右から左にうけながす生き方をする人間になってしまったようにも思う。
一方、私の知人は、親と正直に正面からのコミュニケーションを続けて大人になった。結果、私よりも現実的な感覚を持った人間に成長した。
親と対峙するということは、現実と向き合う覚悟を持つことに通じるかもしれない。だから、世間で初めて対峙する世界に2人しかいない人間と正面からぶつかり合うことは重要だと実感する。
なお、ぶつかるというのは言葉であって生き方であって、暴力ではありえない。また、親というのは結果を出さないと結局は子どもを一人前に評価しようとはしないようだ。
そうだ、ムーディ勝山さんが歌うように、
右から 左へ受・け・流・す〜〜左から右へは、受け流さないぃ〜〜〜♪
右から右から そう右からきたものを♪
僕は左に受け流す〜♪ことが重要だ。