I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

ゴーンに釈迦をみた

2007/10/15
■[感想]シッダールタの気づき20:24
見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。おん僧よ、おん身はたぶん実際さぐり求める人であろう。おん身は目標を追い求めて、目の前にあるいろいろなものを見ないのだから。(『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ著/高橋健二訳))


この引用は私の過去記事の一節である。
今、朝日新聞『Be on Saturday(2008.3.22)』のゴーン道場を読んでいる。
そこで、カルロス・ゴーン氏はキャリアプランについて語っている。「あまり厳密に計画を立てすぎると、予想もしなかった別のチャンスがめぐってきてもそれに気づかないかもしれない。計画があるとどうしてもそれにこだわってしまうからです。アイデアを持っていても、つねに心はオープンに、チャンスをキャッチするためのアンテナを張っておくこと、それが第一です。」
ジョン・D・クルンボルツ氏の「計画された偶然論理(Planned Happenstance Theory)」にも通ずる考え方であるが、今日この記事を読んだときはショッキング〜
釈迦の教えを研究した文豪ヘルマン・ヘッセが記し、現代ビジネスで実績を残したカルロス・ゴーンが語り、ジョン・D・クルンボルツの研究結果でも確認されており、日本にも「思い立ったが吉日」ということわざがあるように、人生は目標どおりであることよりも臨機応変であることの方が重要なのではないか?
例えば、大学まで行かないといけないとか、30歳までにコレだけはしておかなくてはいけないとか、お宅の旦那はまだ係長ですか?など、大きなお世話なのだ。
自分の目標どおりに行かないからと凹んでいたり、他人と比較してウツになったりする必要などないのだ。でも、顔は上に向けておかなくてはならない、目の前にあるいろいろなものを見るために。