I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

2回目のおおかみ


荒野のおおかみ』を読んだ。


以下、内容と感想を書く。


読むのは2回目だったが、見事に内容を忘れていて、覚えていたのはヘルミーネの名前だけだった。


物語は、ハリー・ハラーという男が残した「手記」の形で進行する。
途中まで退屈で、読破不可能かと思ったくらい小難しい本だ。


荒野のおおかみ (新潮文庫)

荒野のおおかみ (新潮文庫)




ハリーは、学問や知識があり、その昔は文化人として生活していたが、今は世間の批判にさらされる存在。
ハリーも自らを社会に適応できないアウトサイダーと認め、俗世間を軽蔑し、ある夜自殺を決意する。


ここまで読んで私が思ったのは、ハリーは自分が社会に適合できないからといって世の中に逆切れし、価値のないもとの決め付けて心の安定を得ている、つまらない人間だということ。


しかし、ヘルミーネという女性が登場してから俄然おもしろくなる。


自殺を決意した夜にハリーは、酒場でヘルミーネという高級娼婦に出会う。
生きることはむずかしいと嘆くハリーを、ヘルミーネは「人生を思う存分ためしてみたが、何も見つからなかったとでもいうようなふりをなさるのは、いけないわ!」と叱り飛ばし、踊る楽しみを教え、マリアという若い女性を差し向ける。


私は、ヘルミーネが登場したとき、ハリーとは正反対の世慣れした人間で、ハリーを全否定し、社会に引き戻す役割を果たす人間なのかなと思った。


事実、ハリーは苦手だった踊りを覚え、マリアとの情愛に溺れていくうちに、人生とは、以前決め付けていたような深刻なものではなく、少しは気楽なものだ考えるようになる。*1




しかし、あるときヘルミーネは、自分も社会は生きにくいと考えており*2、ハリーに共感すると告白する。
そして、ときが来たら自分を殺せと告げる。


世の中は戦争を是とする風潮に包まれていた。
ハリーとヘルミーネは、時代の移り変わりに翻弄されない価値を求める。
日本語訳によれば「永遠の」または「不滅の」人間*3になること。


私の言葉でいえば、時代を越えた普遍的な価値を見い出して尊重できる人間でありたいということ。




そして物語は現実なのか妄想なのかわからない場面に突入していく。*4


「誰でもの入場はお断り*5」「入場料として知性をはらうこと」という魔術劇場に足を踏み入れ、そこでいろいろあるのだが、モーツァルトに、

君は生きなければならない。人生ののろわれたラジオを聞くことを学ばなければならない。その背後にある精神をあがめなければならない。その中のから騒ぎを笑うことを学ばねばならない。

と教えられる。


「人生ののろわれたラジオ」とは何か。
本書でモーツァルトは、ラジオから流れる音楽は、当然生演奏より劣化しており鑑賞に堪えられるものではないが、よく聞けば、その音楽の本質の部分に触れることができるという。


そこで私がピンときたのは、
人生や世相という実際の現象も、一見物質的で期待に沿わず、移り気にみえても、そこで諦めないで正面から向き合って深めれば、その本質的な部分が見えてきて、そこには普遍的なものが存在しているはずだということ。




ストーリーに話を戻すと、ハリーは魔術劇場の中で、ヘルミーネとの約束を果たす。
彼女にナイフを突きたてた瞬間!

彼女の目がさも痛そうに、しんから驚いたようにちょっとのあいだ開かれた。

「なぜ彼女は驚いたのか」
ハリーは、彼女と完全に恋人になる前に殺してしまった。やってしまった。と後悔する。
しかしよく読むと、ヘルミーネはもっと前向きな答えを期待していたように思う。


なぜなら物語の最後で、魔術劇場の所有者からこう言われるからだ。

ハリー、あんたはいささか私を失望させましたよ。あんたはあのときナイフで突き刺し、われわれの美しい絵の世界を現実のしみで汚してしまいました。あの仕打ちは関心しませんでしたよ。ヘルミーネと僕が寝ているのを見て、まあ嫉妬からやったことなんでしょうがね。残念ながらあんたはあの「こま」の扱い方を心得ていませんでした。


「こま」とは魔術劇場のある部屋で使われた将棋のようなゲームのこまのこと。
そのゲームをつかさどる男は、ハリーの魂や自我のひとつ一つを切り離して、将棋のこまのようにし、その動かし方しだいで、いかようにでもゲームを組み立ててみせる。


その男の主張はこうだ。
人間は永続する統一体ででもあるかのように考えられているがそれは誤っている。
本当は様々な人格の断片で構成される精神分裂的な存在である。
その断片をいつでも任意な秩序で新しく組み立てることが可能であり、それぞれの生活の局面をどんどん形作り活気付け、複雑豊富にしてよい。


つまり、自分はこういう人間だ、あるべきだなどと硬直的に思い込まずに、自分の好きな部分、嫌いな部分、いろいろな感情や境遇にありのまま向き合って、弾力的に柔らかい発想で生きていきましょうということだと私は考えた。




その意味で、ハリーは間違えた。

  1. ハリーはヘルミーネに殺害を依頼された
  2. ハリーはヘルミーネを愛している
  3. ハリーは世の中は生きにくいと思っている


の3つの「こま」があって、ハリーが指した手は、

ヘルミーネを愛ゆえに殺し、自分も死ぬ。


だったのだが、

ヘルミーネとともに「生きにくい」世の中を生きていく。

これが最善手だったように思う。


なぜなら人生のラジオをよく聞き、尊重し、ときに笑い生きていくことの中に、彼らが求める普遍的なものが見い出せたかもしれないからだ。




本書の要点のひとつは、時代の流れに翻弄されない冷静な目線の大切さである。
そのような目線を持つ人をアウトサイダーと呼べるかもしれない。
ただし、社会に不適合でふてくされた生き方を認めてはいない。
生きなければならない。世間や人生と向き合うことが重要。
それと生き抜くためには硬直的でなく柔らかいアタマの持ち主になることが重要。
と、いうことを私は考えた。


ちなみにこの本を読んだきっかけは、宇多田ヒカルが「ヘッセでは『荒野のおおかみ』が一番好き。」と言っていたからでした。





★MEMO おとなり作品


荒野のおおかみ』を読んで思い出した作品たち。


マルホランド・ドライブ オリジナル・サウンドトラック

マルホランド・ドライブ オリジナル・サウンドトラック


↑不思議な劇場が登場する。




ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)


↑社会との距離感、生き方、自分とは?題材が近い。




小さな恋のメロディ [DVD]

小さな恋のメロディ [DVD]


↑『荒野のおおかみ』の魔術劇場の中に”少女達はみなお前のもの”という過激な部屋があり、そこでハリーは初恋をやり直す。
小さな恋のメロディ』で印象に残るのは、放課後、男の子が友人と階段を下りてくると女の子が待っていて、2人は言葉を交わさずしてお互いの気持ちを察し、手を取り合って
初めてのデートに出かける。男の子の友人が寂しさから呼び止めるが2人は走り去っていくというシーン。2人があらゆる意味で一歩を踏み出す。




シッダールタ (新潮文庫)

シッダールタ (新潮文庫)


不滅どころか時間は存在しないと悟った人の話

*1:それはそれで、英雄的な要素のない世の中に多少失望する。

*2:宗教上の人物が虚飾的に描かれた絵をみると嫌悪するなどと言う。

*3:本書によれば、ゲーテモーツァルトのような。

*4:そもそもヘルミーネの登場時からそれは不明なのだが。

*5:au仲間由紀恵のように「誰でもo.k.です」ではない。