I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

現代落語論


現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)


立川談志氏の本書を読んだのだ。
落語を両手に少しばかり聞きかじって、どんなもんかと本書を紐解いたわたしの、現時点の理解度を将来の自分に向かって記すのだ。


まず、落げから内容が始まるのが読み入り易い。


例えば、

  • 冷や(火屋)でもいいから飲みたい_らくだ
  • 石ではなく梨を抱えていた_佃祭
  • 夢になってはいけねえ_芝浜


以上は私が聴いた落語からセレクトしたサゲであるが、言葉遊び、考え落ち、物語を引き締め余韻を引くオチなど、バリエーシンがあり、本書はこれを立川談志氏の分類で説明していく。


現代落語論というが1965年の著書である。
約半世紀経ったお笑の最新型が「人志松本のすべらない話」だとすると、オチでドッカーンと受ける形を思い起こす。
それに比べ、落語のオチは、笑いの最後の引き金というよりは「物語を締めくくるきっかけ」を添えるといったイメージがある。


そして、先に挙げた3つのオチのうち上記2つは、おそらく当時の風習を知らないと理解できない。
一つ目は、当時の酒は熱燗で飲むもので冷酒は一段引く見られていたことを知らないと、現在の大吟醸を冷やで味わう感覚で聴くと、誤解する。
二つ目は、戸隠神社に向かって祈り川に梨を流し3年梨を断つと歯痛が直るという信仰を知らないと、身投げしようとした人と、梨を流そうと水辺にいた人を勘違いした意味が分からない。


しかるに、現代に演じるときには、オチの説明を事前にしなくてはお客に全部を理解してもらえない。要するにオチの取り扱いは笑いに直結しないがストーリーや伝統芸能としての落語を実演するために演者とお客とが取組むべき課題にすらなっていると私は考える。
おそらくそういった部分を演者がどう料理するのか、それをお客がどう受け止めるのかというのが落語の深い楽しみ方の一つなんだろうと思う。


しかし、それは大爆笑とは無縁の部分。
もしかすると落語とは客が笑っていれば成功なのではなく、客を黙らせて成功という部分がありそうだ。
なお、本書の副題は「笑わないでください」


本書を読んでいくと、落語はゲラゲラ笑う装置ではなく、ストーリーを楽しむものだということが繰り返し述べられる。
そして、大爆笑のイメージや客の要望との乖離や葛藤について多く書かれていて、落語の見方が変わって行く。


立川談志氏が落語の根本に据えるのは人情味のある笑いだ。
思うに、温かい気持ちになる、微笑ましい、笑い泣きの世界、なのだろうか。


具体的に言うと、立川談志氏の有名な言葉。
「落語とは人間の業を肯定することである(著:あなたも落語家になれる)」


本書にはこう書いてある。
「素朴な人間の善に対する賛美 225P」
「ケチはケチ、泥棒は泥棒、キザな奴はキザな奴とそれぞれルールを持っていて、また、まわりも、それに徹しているものにたいして敬意を払っている楽しさ 33P」


書いていて涙ぐみそうになる。人間愛。
だから、大爆笑だけではなく、一つか二つ心が豊かになる体験ができること、それが落語を聞く事なのだと思った。


本書は、殺伐とした現代の社会情勢が落語の世界を許容する余力を持たなくなるのではないかと危惧しているようにも読める。
それはとても皮肉なことだ。


また、落語をとりまく現代の環境が、笑い重視のマスメディア、お手軽なお笑いを求める大衆などによって、落語家が育たず、また落語家も変化していかないといけない、そういうことが書かれている。


立川談志亡き後、堀井憲一郎氏がラジオで語ったところによると、立川談志氏の落語を知りたければ弟子を聴くのがよいとのこと。
主な弟子には、桂文字助立川志の輔立川談春立川志らく立川談笑などがおり、談笑はインターネットで見る限り、NEWな感じがした。立川談志師匠と「黄金餅」を聴き比べると師匠と同じに演じていなくて、ブラックユーモアの付け足しをしているのが味なんだろう。
ただ、師匠の方が登場人物の心の内を語る形で話の筋を補足しているんだなあ客に優しいんだなあと感じた。本書では自ら落語は説明は少なく会話だけで進行させるのがよいと書いているのだが・・・。その点を談笑はしっかり守っていて会話だけで進めるに徹していると感じた(気のせいか?)。しかし、肝心の餅と一緒に銭を飲み込むくだりを私は聞き逃した、ていうか私に落語の読解力がないだけなのだが。


そんな感じで、YOUTUBEや図書館でCDを借りて落語を視聴している自分は、寄席には一回しか行ったことがない。本当はたくさん寄席に通うとか、落語のCDやDVDを購入するという形で、落語の伝承に貢献しないといけないんじゃないのかと余計なことを考えている。


一度行った寄席のトリは現在の林家正藏で「西行鼓ヶ滝」、音に聞くなんちゃらかんちゃらと詠むのが印象的で、私の好きな落語のベスト3に入る。つまり、ライブは好いってことなんだと思う。
他には、「佃祭」とか「おかめ団子」「六尺棒」、そして「富久」「井戸の茶碗」「天災」「茶金」が好きだって書いとくよ未来の自分さん。