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落語の国からのぞいてみれば

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私が紹介したのは『落語の国からのぞいてみれば』
堀井 憲一郎 (著)

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)


まず落語から説明しましょう。題名にある「のぞいてみれば」どこをのぞくの?って話は最後にします。


早速ですが、古典落語は江戸時代から明治までに書かれたもので、江戸東京が主な舞台です。また、上方落語といって大阪を舞台とする落語もあります。
このたび紹介する「落語の国」というのは江戸時代の東京です。
落語を通じて江戸庶民の生活や考え方を探る。
半分が落語、半分が江戸文化の話です。


堀井憲一郎氏はコラムニストで、著書に「ホリイのずんずん調査」「東京ディズニーリゾート便利帖」「若者殺しの時代」など、客観的に徹底的に調べ上げるのがお好きなようです。


特に落語がお好きで年にたくさんの寄席や独演会に足を運ばれていることで有名です。


実は、私もこの1年くらい落語にはまりまして、落語を聞いております。
図書館で落語CDを借りたり、寄席や独演会にときどき出掛けたりします。


落語を私は興味深く聞いています。
今年さっそく立川談春という売れっ子落語家の独演会に行ってきました。
立川談春が言うには、落語の面白さは「江戸の風を吹かせる」ところに有る。
要するに江戸時代の東京にタイムスリップすることだと思います。


その意味で、この本を読めば落語がより楽しめると思います。


本書のトピックスは、お金、お酒、相撲、交通、時間、サムライなどの切り口から江戸にせまります。


ここではトピックスのなかから3つ選びさわりを書きます。


1つめ「江戸のゼニとカネ」
「第5章 ゼニとカネは別のものである」


落語「芝浜」は、主人公が大金を拾う場面から話が展開します。
こんな風に言います。「これ、ゼニじゃないよカネだよ」


これだけ聞くと、あわてて言い間違えたようにも取れます。また、現代のお客の多くはその意味で笑っていると著者は言います。


しかし、当時ゼニとカネは別のものでした。
ゼニとは銅貨、いろいろな銭が出回っていた。
カネは金貨、銀貨でそれ自体に高級金属として価値があった。


庶民は扱うのは銭。そもそも物々交換が主流で銭の流通量も少なく信憑性が低く感じられていた。
かといって、庶民が金貨や銀貨に接することはまれであった。
著者は当時のお金を今の価値に換算するのはナンセンスだと言う。お金に対する感覚が違う。


余談ですが、現政府が進める金融緩和は、要するにゼニを多く発行するということです。
一万円札は所詮紙でありそれ自体に価値はない。日本銀行券として信任されている限りにおいて価値を持つ。
当然、江戸時代にタイムスリップして一万円札を出しても誰も嬉しく思わないでしょう。
その意味において、我々が扱う貨幣はゼニです。
大量に発行して、その価値大丈夫でしょうか。
だから、現在でも資産運用は現金預金だけでなく、”金(キン)”であるとか、株式(企業価値)など金融商品をミックスすることがよいとされています。




2つめ「江戸の酒」
「第17章 冷や酒は体に悪い」


当時のお酒はうすい茶色で、力が強く、人々は水で薄めて燗をして飲むのが基本だったそうです。
落語「長屋の花見」では、お酒を買う余裕のない長屋のメンバーが、当時のお酒と色の似ていた番茶をお茶のつもりで飲んだほどです。


冷酒を飲むと腹が下り、冷やでもいけるのは肉体労働者くらいだった。
さらに、当時は火を扱うのが面倒だった。火打石で炭に火を入れ炭火を維持しなければならず、そういった意味から熱燗で飲めるのは地位のある人だった。
こういったことから、冷酒というと、身分の低い肉体労働者による、とりあえずの飲み方といったニュアンスを含みます。


今で言うと、良い酒は冷やで飲むのが上品なお酒との付き合い方という常識が出来ているので、冷や酒だからといって乱暴なイメージを持つ人は少なくなったかと思います。


落語「芝浜」で、夫が妻に「冷やでいいからもってこい」と言います。さらに、「らくだ」では「冷やでいいからもう一杯」がサゲとなっています。


余談ですが、中国の故事で街の衆が酒を持ち寄って会合を開くことにしたが、皆が「自分くらいは水を瓶に注いでもバレないだろう」と考えた結果、酒で満たされるはずの瓶は水で満たされたという話があります。




3つめ「江戸の暦」について紹介します。
「第15章 30日には月はでない」


現在は、太陽を中心とした暦ですが、江戸時代は月の満ち欠けと日付がリンクしていました。
すなわち、3日は三日月が出て、15日は満月、30日は月が出ないと決まっていた。


「芝浜」という演目がありますが、大晦日の夜に夫が妻に「今日は星がきれいだったよ」と告げる場面があります。これは暦を知っていれば、月が出ていないからよけい星が綺麗に見えたと分かるわけです。


「たがや」という演目は、江戸時代に隅田川の川開きと花火大会が行われた5月28日が舞台です。この日も月が出ないから花火がよけいキレイに見えたという訳です。


余談ですが、忠臣蔵の討ち入りは12月15日の夜だったそうです。満月です。今のように電灯が無い時代、満月の夜はとりわけ明るかったと思います。




最後に、本書の題名、いったい何をのぞくというのでしょうか。
答えはあとがきに書いてありました。「今」です。

落語の向こうの日本から、今の日本を見てみたってことです。


本書は、落語を通じて江戸時代の暮らしやモノの考え方を知る事で、現在当たり前と思っている生活や常識を問い直してみるという「今を見つめる書」となっています。


お薦めです。是非お手に取ってみてください。


■memo1 好きな落語


万人向け「抜け雀」「佃祭」「百年目」
シュール「あくび指南」「素人鰻」「三年目」


□memo2 落語に見る地名


大川(隅田川)、吾妻橋(自殺の名所)、浅草、吉原
↑現在でいう墨田区東京スカイツリー)、台東区(浅草)のあたり


品川は、吉原と並ぶ遊郭として出てくる。東海道の最初の宿場である品川の遊郭で全財産を使い切っちゃう大バカ者がいたかと思えば、江戸上洛の際には品川の宿場で身なりを整えて江戸入りする習わしなど起点・終点として機能した。


住所で住んでいる人の職業が分かる地名もある。
神田=大工の住む町
深川=漁師、木材卸業(木場)


■memo3 落語に見るお金


当時の「一両」の価値について、あくまで参考となる例として、日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料では「当時と今の米の値段を比較すると、1両=約4万円、大工の手間賃では1両=30〜40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12〜13万円」という試算を紹介している。 http://manabow.com/zatsugaku/column15/index.html