I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

NEVER CHANGE


立会出産


「一緒に居てくれて良かった」
妻がそう言ってくれた
助産師さんとの振り返りで)


この言葉は大きい
真に受ける
俺にも家族ができた
夫婦の絆も深まった気がする


ネバーチェンジ
長渕剛のあの歌と同じ時点に立った日


振り返れば
5月19日深夜のメール


妻から
「破水した」


翌朝の始発新幹線で
妻の故郷へ


分娩室では
妻が身体を小さくして
痛い痛いと言っている
可哀想


9時に会社へ休暇取得の連絡
その日が来たと


分娩室に戻ると
陣痛が強まったらしい


助産
「パパを待ってたんだね」
その言葉を真に受ける自分


午前中に強い陣痛が何度もきて、
お昼に生まれそうと助産


妻の母に電話する



分娩室に戻ると研修生が
立ち会っている


団扇や身体をさするのを手伝ってくれる


妻のヒーヒーフーが痛々しい
悲鳴にも近い


11時30分
分娩室から人が減る


「お父さんも昼を食べてください」
助産師に言われ、退室


コンビニの前で妻の母とすれ違う
状況を説明


お昼を食べて戻ると
分娩室のライトが、落とされて
陣痛の回数も減っている


子宮は開くも
赤ちゃんが大きすぎて出てこれない
あげく妻のスタミナ切れか?


妻、用意されたおにぎりを食べる
スタミナ補給
医師が驚く、普通痛くて食べれない


とても出産に前向きに取り組んでいる
取り乱したりせず立派と
皆が褒める


私が買ってきたウィダーインゼリーも
飲み込む


状況は一進一退
陣痛の間隔が間延びするので、
赤ちゃんが出てきては、引っ込むらしい


医師
「もう少しなのだが」


そして、母子の安全のため陣痛誘発剤を投入
説明を受け書面に署名


誘発剤を打っても事態は変わらず
薬の量は増えていき30を指す


私は一人後悔
もしお昼ごはんを食べに私が行かなかったら
お昼に産まれたのでは?
胎児の体重が推定4000グラムとなった時点で帝王切開を選ぶべきだったか?
妻は自然分娩を希望だった


でも結局、帝王切開なんじゃないか
痛いだけ損したのではないか?


狭い産道で長時間圧迫されて
赤ちゃんが可哀想だ


妻の手をじっと握る
握り返された力の強さに
私の結婚指輪が中指に当たって痛い
指がひねられ折れそう


でも、妻はもっと痛い
そしたら妻が
「ごめん指痛い?」
気遣いをみせた


泣き虫の妻が 強い


時機をみて医師が決断した
「お産にします」


2名の医師
2名の助産
4名の研修生
そして私


研修生がいるということは
失敗の危険のないお産だと勝手に思う


医師が下から引っ張り
助産師がお腹を押す
子宮の出口を切る


そういう措置をして
我が子が引っ張りだされた


医師が高く取り出したとき
血にまみれたまさに赤子
私は泣いて頭を下げていた
ありがちな感じと思いながら


その後
各方面に連絡


妻は
切った子宮の縫合などで
まだ痛い痛いと言っている


なんでも、陣痛よりも
縫うときの方が痛かったと


一時間以上待って
赤ちゃんと面会
写真とる
抱く


助産師に促され
赤ちゃんが初母乳を
夢中で吸う


ゼロ地点の無力さのなかで


可愛いとか能動的な感情より
絶対に失いたくない存在
感想はこれに尽きる