I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

橋下市長


今日、NHKのライブストリーミングで、オリンピックの乗馬を見ていて、英国の五輪で乗馬っていうのは絵になるなあと、こういう文化は残したいなあと思った。


ところで、橋本市長はなんでも文楽という芸能に対する補助金を巡り物議をかもしているらしい。


橋下さんは、大阪区構想だとか教育委員会のしくみだとかに手を入れて、仕組みと人が変われば、物事がうまく行くようなことを言うけど本当かなあ。うーん、確かに仕組みと人が変わっても刷新されないなら、何を変えればいいんだと問われたならば、パラダイムだと答えよう。


橋下さんは、手段のことばかりで目的というかビジョンが伝わってこない。理想の在り方が今の在り方と違うなら、まずその将来像を語ってほしい。仕組みや人は手段であって、目的ではないのだ。


このことは原子力規制庁が組織も人事も変わったのに、刷新されたイメージがないのが良い例だ。要するに原発の割合をどうするか。廃炉の計画や規模について明らかになってこなければ、結局、新しい原子力規制庁は何の仕事もできないだろう。


そもそも、法律を学んだときに、ゼミで論点を語る時に、「法律を変えればいい」という答えは禁じ手だった。すかさず教授から「それは立法論だよ」と指摘された。
法律学とは、現行の法体系を前提にしていかに解釈し問題を解決するかの学問のはずだ。


橋下市長も弁護士時代は、まさに法律解釈のプロだったわけだが、今は政治家となり立法論を論ずることが可能な立場になった。だからというのか、しきりに法律や行政のしくみを変えたがるけれど、変えてどうしたいのかという部分が聞こえてこないうちは、橋下維新の会も大きなうねりにはなりそうもない。