I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

裏アカ的放言


米国の血税でイラク軍に与えた最新鋭の武器。ISISとの戦いでイラク軍が武器を置いたまま敗走したため全てISISに取られたって話。ABCニュースで怒ってた。しかし、評論家 田中宇氏によると米国はイラクを支援するように見せかけて、実はISISを強めイランにぶつけたいと思ってるらしいス


ISISイスラム圏の国々を混乱させたいと思っている国。それは中東の非イスラム勢力であるイスラエルイスラエル資本に牛耳られているのが米国。イランの後ろにはロシアや中国がいる。米国はイランを牽制できるならイラク政府でもISISでもいいという話。そうだとして日本は関わりたくないのう


日本がイラク軍に武器を輸送します。戦闘が起きます。日本は逃げます。イラク軍も逃げます。武器がISISに渡ります。残念です。でも米軍はISISを強くしてイランとシリアにぶつけたい本音があるので飯旨。ということが安全保障法制で可能となる。誰も戦闘で死なないシナリオだから乗ってやれば?(皮肉)


「武器輸送は武力行使ではない。攻撃されたら逃げればいい(賛成派)、武力行使と見なされる。逃げたら国際社会の批判うける(反対派)」
反対派が逃げるなと言い、賛成派が逃げろと言う、どっちが平和主義か混乱する


安全保障法制が自衛隊にもたらす新たな任務は、
一、攻撃を受けなくても日米同盟の軍事作戦に参加可能《国会の承認》
二、日米同盟以外の軍事作戦の後方支援可能(国連決議など)
三、地理的に地球の反対側でも可能
四、後方支援で武器輸送が可能
五、PKO等の平和活動に恒久法で参加可能
集団的自衛権か個別的自衛権かは説明の仕方の違いにすぎないので、ここでは論じない)


安全保障法制への反論の分かりにくさは、
⑴戦争ダメ
⑵個別的自衛権で論理構成すべき(戦争は容認)
の2つが混ざってるため


個別的自衛権で論理構成する例は以下のとおり
「日米同盟のため作戦を行う米艦が攻撃されたとき、日本が反撃するのは個別的自衛権
「攻撃を察知して先制攻撃するのは自衛の範囲」


憲法学者の多数説は、今回の安全保障法制は「違憲
だから憲法を変えましょう、そう言えば良かった官房長官。法学者は文理解釈をしているのであって、こうあるべきという価値判断はしない。日本人は終戦前後で真逆の価値観を違和感なく受け入れた。何処かで潮目が変われば手のひら返して現行憲法は捨てられる。そうならないようにと思う


集団的自衛権より、国連決議等によって後方支援ができることの方が違憲だと思う。これを私は安倍総理が米国に隠した牙、つまり米国以外とも組んで戦争できる道を開いたと思ったけど、国会で「日米同盟以外の作戦下の米国」という場合分けがあり、要するにイスラエル等のため戦う米国を支援する話だった(残念?)


(練習問題)
自衛隊を海外に派遣すると聞くと、海外でならいいか、本土でドンバチされるより。そう言ったら怒られる。たぶん安部総理にも怒られる。でも、憲法学者は日本で戦争するのなら良いという。でも、これは誰にも怒られない。違いを述べよ
自衛隊は我々日本人であり、他人事にしてはいけない
・では、なんで俺の子が外国まで戦争に行かないといかんのか?
・テロなど日本が報復される恐れ(海外で人質殺害、実際にあり)
・国土が犯されたら反撃は当然の権利(でも、自衛権行使しますか?人が死ぬくらいなら他国に財産を奪われ、強制労働に甘んじますか?異国語を話しますか?)


グローバル経済は、軍事をマネーに替えた植民地支配だから、中国は日本を上回る貿易国となったが、インフラ投資銀行とかギリシヤの港を買おうとしたり金はでるけど軍隊を地理的に離れた場所に派遣してない。だが、軍隊を出さないとも言ってない。日本は法律を変えないと軍隊を出せない。抑止の点で違う


自衛隊、これを主語に論じて私たちは当事者意識が持てるのだろうか?国民が、息子が、兄が、友が、娘が、妹が、恋人が、私が、等々に置き換えて私は考えていますが


政府が「抑止力」を論じるときには、自衛隊が主語になってない。「自衛隊」が、ではなく日本の軍力が抑止力となる。つまり、自衛隊の規模を仮想敵国とバランスさせ、足りなければ徴兵も?たぶん近代兵器の機械化、自動化により性別や年齢は問われず徴兵されるだろう。子を産む女性は免除かもしれない


先週のTBSラジオ『デイキャッチ』にホリエモンが出て、私有財産制も家族制度もやめて、全部シェアすればいいと言っていた。

ホテルに住んでて、借り物で暮らしてる。数年に一度会う親より仕事や趣味の仲間(オンライン、オフライン)の方が家族かもしれない。
日本国がなくなっても困らないが、Appleのアカウントがなくなると困る


そうだとしたら、戦争はなくなる。
具体的には、明日から政府が中国政府となっても、これまで同様の自由がある程度保障されれば、財産が国有となり、家族バラバラになっても(ていうか数年に一度しか会わない)、場面場面で仲間を作れば問題ない。シェアできる。大事なのは自由だ。
しかし、中国語を勉強するのは面倒だ。言語は壁になる。文化、商慣習、社会保障制度、教育制度、今の仕事が変わるのも抵抗感がある。


彼は、日本国がなくなっても困らないが、Appleのアカウントがなくなると困ると言う。たしかに、サービス・商品の提供者はグローバルになってる。
こういう前向きなマインドチェンジで、国と国の争いを超えたい