- 作者: 今西祐行,伊勢英子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 1983/03
- メディア: 新書
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自分がひねくれた人間だと思ったのは小学生の時。
国語の授業で『一つの花』の感想文を書いた。
記憶に残っているのは、先生が私の感想文を授業中に読み上げ、そして最後の一文に差し掛かったとき、一瞬驚いたような間があり、続けて読んだ私の文字。
ゆみ子が爆弾に当たって死んでしまえばいいと思いました。
その後のクラスの反応は覚えていない。
先生は、私がわりと成績がよく学級委員長も務めていたから、事前によく読みもしないで、授業中に私の感想文を紹介したのかもしれない。
ゆみ子みたいな人間は嫌いだ。
話の内容はこうだ。
時は戦時中、十分な食べ物がなく、ゆみ子の口癖は「もうひとつちょうだい」になっていた。
ある日、お父さんが徴兵され戦争に行くことになる。
お父さんを駅まで送りにいくその日に、ゆみ子は、あろうことか「もうひとつちょうだい」と、お父さんのために作ったおにぎりを全部食べてしまう。
そして、駅でもお父さんに「もうひとつちょうだい」。
もうおにぎりはないので、お父さんはコスモスをひとつ摘んできて、ゆみ子にあげた。
戦争後、ゆみ子はお父さんのことを覚えていないけれど、コスモスはゆみ子の家のまわりに咲いている。【以上】
ゆみ子はKYそのものだ。
お父さんは遊びにいくんじゃないんだから。
一生おにぎり食べられないかもしれないんだから。
という嫌いな理由は今も変わらないが、無理やり肯定的に考えると、ゆみ子が欲しかったのはおにぎりではなくて、お父さんの一生分の愛情だったのかもしれない。
それと、親だったら子どもに自分のおにぎりを与えることになんの躊躇もないんだろうなということ。
その2点を踏まえ、読者としては、徴兵されたお父さんの過酷な従軍環境と死、引き裂かれた家族の淋しさや貧しい生活を想像できる程度まで戦争の悲惨さを理解したうえで作品を読み、生活者としての国民に戦争がどれだけ悪い影響を与えるか思い巡らすことが重要なのだと考える。
今だったら、感想文をこう締めくくりたい。
お父さんが残したコスモスの花。戦地に赴いた人々が後世に託した想いを決して忘れてはならない。
<参考>
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa101693.html
http://www.education.ne.jp/mitaka/sansho-es/kyoshitu/99/42/heiwa/hana.htm
http://blog.livedoor.jp/texas/archives/573239.html