I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

五木ひろし

五木ひろしを聴いている。
ちりとてちん(NHK)』の影響だ。
舞台である福井県出身で、本人「五木ひろし」として度々登場した。


ベスト盤を聴いたのだが、第1曲目を聴いたときに、”五木ひろしじゃない!”と驚いてCDを確認してしまった。*1
無理もない、デビュー当時「松山まさる」名義で発表された『新宿駅から』だったのだ。
その歌唱は、五木ひろしのそれとは別モノで、いかにも売れなさそうな歌手に聴こえたのだ。


何でも「五木ひろし」になるまでに少なくとも「松山まさる」→「一条英一」→「三谷謙」と変名してきた。おそらく歌唱法も研究を重ねた苦労の末に今のような人を魅了する歌声を作り上げたのだ。
その意味では「貝や卵の殻など捨ててしまうようなものを塗布し幾重にも漆を塗り重ねられた後に、それが磨かれたときにきれいな模様と成って出てくる*2福井県若狭塗り箸のような人生である。


また、歌詞カードをみて気づいたのは、名曲『契り』(作詞:阿久悠)など、作曲もしているということ。
あるインタビューでも、良い詩が作曲者としての自分を育ててくれたと語っている。
さらに、玉木浩ニ、筒美京平、平尾昌晃など、アイドルへの楽曲提供もある作曲家の作品を歌っているところからみて、むしろ「演歌歌手」として幅狭く捉えてしまってはいけないアーティストなんだと再認識した。
ただ最近の活動をHPで見ると、つんく作品や、名前の由来である作家「五木寛之」による作詞など話題づくりに腐心しているように感じる。


さて、歌の感想。
昔から紅白歌合戦などで耳にしてきたが、しっかり聴いたのは初めて。
1970年〜1990年が黄金期であったと感じた。
これはと思った3曲を書いておく。


”♪なおさら逢いたい逢いたいもう一度”
夜空/まっている女
『夜空』は、軽快な感じでサビの部分も小気味いいので好きだ。
ジャニーズのグループが、コンサート等でカバーしても面白いと思う。


”♪あなたは誰と契りますか”
契り/蝉時雨
『契り』は、上で書いたとおり五木ひろし作曲で、昨年の紅白歌合戦のトリで歌われた。
今の日本は人々のつながりが下手になっている。id:horikita800:20080104


”♪愛する人の瞳に俺の山河は美しいかと”
山河/愛のバラードを・・・となりで
大物演歌歌手は自然にまつわる大きい曲を持っている。

しかし、五木ひろしの『千曲川』や『長良川艶歌』は、他の大物歌手のそれに比べると感情を抑えた感じだった。
2000年に発表された『山河』は、聴き応えの大きな曲となった。

★MEMO★ 下手に歌え?


昔、レコード大賞だったか有線放送大賞だったかで、五木ひろしが受賞したときに菅原文太がプレゼンターとして登場して「これからは下手に歌え」とコメントしていたのを覚えている。
実は今回、五木ひろしのほかに北島三郎のCDも聴いてみたのだが、きれいに歌いすぎていて、すこし白々しいように感じたときに、この言葉を思い出した。
北島三郎は、紅白歌合戦のトリで聴くような迫力ある歌唱の方が好きだ。
五木ひろしも『ちりとてちん』で弾き語りを披露した『ふるさと』はCDで聴くものより良かったかもしれない。


では、感情が伝われば下手でもいいのか?
演歌歌手は、「イチロー」みたいに夢を与えるべき存在であり、歌う者と聞く者とで傷を舐めあうべき存在ではないと私は考えている。
一見「人情」「色恋」「不常」など人生の機微を歌い上げているのが演歌だから、感情が重要にに思えるけれど、それよりも大衆より少し高みから人生の機微を美しい歌唱により綺麗なものとして見せるほうが、聞く者の心を鼓舞すると思う。
また、一部のカラオケ愛好者などには演歌歌手は上手く歌うことにかけては一種のアスリートとして映っているはずであり、囲碁・将棋のプロがその棋譜でファンをひきつけるように、その上手さで聞く者を納得させる力量が必要と思う。
わざわざ、演歌とJ−POPが区別されている理由は、上手くなくても共感できればよしとする後者と、共感以上のものが求められている前者の違いにあると考える。

*1:カラオケ練習用のお手本CDや、廉価版など別人が歌っているCDが演歌では販売されているものだ

*2:ちりとてちん』ヒロイン和田喜代美の祖父のセリフより