I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

不思議体験。

  1. ここに居てはいけないと感じて一歩下がったら目の前に鳥の糞が落ちてきた。
  2. 側溝の近くを進んではいけないと感じて右に居たら、前から車がすごいスピードで来て、ガー側溝に突っ込んでいった。
  3. ここに居てはいけないと感じて一歩下がったら目の前をロケット花火が通過していった。
  4. 止まれ!と感じて止まったら目の前を車が猛スピードで通過した。


生きててよかったと思うけど、自分は何をしてきたのだろうか。
美味しいものを食べたり、海外旅行をしたり、楽しい映画や音楽を聴いたり、そのほか本能の望むところはだいたい経験したけれど、年を重ねるにつれ時の経つのが早くなり、感情も薄くなっていくばかりだ。
思い返せば十代の感受性は宝だ。昔、好きな子と話しただけで全身の細胞が逆立った、あの自己肯定感はどこにいってしまったのか。


最近では、間違いなく正しいと思えることなんて何もない。
ただ、腹が空けばご飯を食べる。トイレに行きたくなったらトイレにいく。寒ければ服を着る。眠くなったら寝るだけだ。デートしたってどこかで仕事みたいに考えている自分がいる。


ん〜。
あの頃も腹が空けばご飯を食べる。トイレに行きたくなったらトイレにいく。寒ければ服を着る。眠くなったら寝るだけだった。
でも、それよりも強い感情を自分に与えた異性に、気持ちを伝えることすらしなかったのは、なぜか。


空から降ってきたものだけを集めてここまで生きてきた。
それはそれで幸せなことだった。
感動が少なくなった今でも、何かを損ねたくないという気持ちだけは積もるばかりなのは、なぜか。

この「損ねたくない気持ち」、自分のすべての感情を封じることができる、こやつの正体はなんだ。


それは多分、他人からみた自分、理想の自分セルフイメージだ。自分が常識と思いこんでいる「範囲」だ。どこにもない自分像、どこにもない「守備範囲」を守って自己満足しているだけだ。


この守備範囲は、専門的には「閾値」と呼ばれるものかもしれない。
手に入るものだけで過ごす人生にはおのずから限界がある。
トライ&エラーで閾値を広げていかないとうまくはいかない。
でも、それは他人には平らでも自分には崖っぷちにみえる場所を進めといわれているようなものだ。でも多分、怖いのはみんな同じだ。