I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

見方が変われば2


待合室で週刊朝日(7月13日号)を手にとったら、イスラム女性差別はむしろ女性にとって心地よく響くというコラムがあった。


イスラムでは特定の宗教施設に女性が入れないそうだが、理由が、女性がいると男達が祈りに集中できないからなんだそうだ。
つまり、男性の性欲が問題視されている。
それを聞くと、ふーん、そんなに私が魅力的なら、しょうがないわね、髪も全身も布で覆ってあげるわよ❤という気持ちになるのだという(極論すればそういうこと)。


日本の女性差別は、女性は不浄だから祈りの場にはふさわしくないという発想。
女性を貶める。




それはさておき、野口健氏のヒマラヤ登山の話では、登山は登るだけではなく、自力で下山してこそという考えがある。あたりまえ体操だと思ったが、なんでも下山はヘリコプターを使うクライマーもいるとのこと。


そして、某タレントも下山の技術がないので、ヘリを使ったらしい。
下山は、ロープの使い方も登りとは違う技術を要し、何より下を見るので恐怖感が大きく、発狂して自ら命綱を切って奈落に落ちたクライマーもいたのだそうだ。


私も、なんか嫌な臭いがすると、それをもう一度嗅いだり、温泉の排水溝に汚く体毛が絡まっているのを見ると、もう一度見てしまったり、嫌すぎて逆に手で触ったり(しないけど)想像して、狂おしい思いになることがある。そして、自分はもっと汚いトイレを掃除したことがある、こんなのは何でも無いと言い聞かせたりして無駄に時間を過ごす傾向がある。


むしろ、恐怖に近づき克服することが強さ、男だと思う気持ちが変に出て感情が混乱してしまうのだと思う。しかし、落下の恐怖に耐えられず、自ら命綱を切るのはとても残念なことだ。
私も、変に恐怖心を克服するために嫌悪の対象物に近づいたりする必要などないのだと、恐怖に近づいてしまったらどんなに言い訳しても、それを発狂というのだと心を新たにした。