I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

マイ・ナショナリズム


移民に抵抗がある、という人がいる。社会的な抵抗か、生理的な抵抗か。移民と日本人の子どもの違いは何か。


今日もどこかで日本人が子どもを産む。どうせ誰だか知らない人の子だ。私にとっては、移民と大差ない。
しかし、移民だと、何だか日本に「ただ乗り」されるような気がする。そこを考えたい。


社会に「ただ乗り」問題。日本人と外国人のどちらが有用かなんて決められない。ツイッターで「人生どうする?」とつぶやく、今のところ社会に何の貢献もしていないと自覚する日本人よりも、栃木の工場で働くフィリピン人の方が、日本経済に貢献していると思う。
でも、出稼ぎ労働者は母国に帰る。


やはり、最後まで日本のために責任をとれる人かどうか。具体的にいえば、年金保険料を負担するとか、日本に税金を納めるとか、地域おこしに協力するなどの覚悟があるかの違い。それは、実際のところ、移民と今日産まれた日本人の子ども、どちらに覚悟があるかなんて現時点では分からないでしょう…


移民か、産まれくる日本人の子どもか、どちらを日本人して歓迎すべきか、それは分からない。コインが本物かイカサマかどちらか分からない状態に等しい。なんとなく、日本人の子どもの方が「値打ちのあるコイン」に思えるというだけ。
移民は、母国に帰ってしまうし、文化的な違いに私は慣れてない。


自国愛と自己愛は地続きか?
自分のルールを他人が守っている環境が生き易いため、同じ日本人同士が生き易く、異国文化の人とは摩擦が起きるわけだ。
でも、自分の価値観やルールだと思っているそれは、オリジナルではなく、生育の過程で他与的に身に付いた。
つまり日本人として出来上がったわけ。


私はサッカーの日本代表を応援するし、高校野球では出身県を応援するし、母校が出場したら試合会場に行くかもという具合に、自分に近づくほど感情が強くなる同胞意識があり、外国人でも同じ釜の飯を食い、一緒に風呂に入れば意気投合した気分になれる。
逆に、同じ日本人でも世代等による違いが存在する。


ナショナリズムのこと。まとめ。


もし、宇宙から敵が攻めてきたら、おそらく国家、民族、宗教を超えてグローバルに一丸となって対処するだろう。そして、敵は国家、民族、宗教ごとに地球人を分断し、対立させ支配しようと企てるだろう。
人の持つ「同胞意識」を政治利用されないよう、この意味を考えて止まない。