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根暗なマイハートのネジを巻け!

格下婚

収入の低い「格下クン」との「格下婚」を狙う女性が急増とのこと。
背景には、「面倒くさくない」「独身時代より生活はラク」「自分が(経済的な)権力者であることによるストレス・フリー」があるらしい。


でも、女性って彼氏や夫の学校や職業を同性に自慢したがる、それが自分の価値だと考える人たちではなかったか(偏見ですね)。
そういった意味では、「格下婚」という言葉によって、女性が「夫の収入・職業」というコンプレックスから開放され、結婚が後押しされるのなら大歓迎だ。


でも、これと比べてしまうのは、昨日散髪屋で小耳にした話。
「夫の収入が少ないからしかたなく働いている、今、夫の収入だけで生活できている人なんて少ない」


こういった家庭を切り盛りするという現実感覚が「格下婚」からは見えてこない。
自分のプライドを削って収入の低い男性と結婚したという意識を引きずるとなれば、自分は仕事をしているんだから、家のことにはかかわらなくてよい。という別のプライドが芽生え、本来共同作業であるはずの結婚生活に支障がでないか心配だ。


要するに、「格下婚」という言葉が世間に広がることによって、女性が結婚式の招待状を友人に送るときに卑屈な気持ちが少なくなるのならいいが、女性本人が、本来、収入によって人間が格上にも格下にもならないという当たり前のことを見失っているようだと、よくないなと思う。
女性の社会進出のその先がこれだったら、それはかわいそうなことだ。


しかし、「格下婚」はこれから普通のことになる。
女性の意識の問題だけでなく、現実的にも「格下婚」は増えると予想できる。
景気の影響もあり、特に30代は就職氷河期の影響で、安定した正社員の職を得られなかった者が多い世代だ。
たしか統計では、都市部の30代男性の半数は未婚だが、その内訳をみると、年収が少なくなるほど未婚率が高く、女性が望むような高い年収層はほぼ8〜9割以上が既婚だった。


こういった現実からみれば、30代から男性を選ぶとすれば、収入の少ない「格下クン」しか残っていないのだから、「格下婚」、さらに「格下同士婚」というのが、これからはあたりまえのカップルになっていく、社会はそういった家庭に対する社会のしくみを考えていくのだろう。


大雑把にいえば、「格下婚」というのは、「女性の社会進出」によって婚期を逃がした女性と、「不況」によって就職期を逃がした者同志のマッチングということで、歴史的必然とでもいえるのである。


それしか選択肢はないのだ。取り立てて騒ぐ話ではない。
生涯未婚率を下げ、出生率を上げるという意味で、もしかすると国策かもしれない「格下婚」。


ある意味男性にとって朗報もある。
「格下婚」が、人物第一に主眼を置いて男性が選ばれる結婚相手探しであり、収入は関係ないとすれば、歴史的に例がない時代に突入するのかもしれない。
結婚が打算でなく、愛情だという確信を男性が持つことができるからだ。
収入目当てで結婚され、離職とともに離婚するという空しい現実と責任から男性が開放される!


ところで、「格下婚」が話題になる前提として、結婚において、女性が男性に求めるのは安定した収入という現実があり、同時に、男性が女性に求めるのは若さだという現実もある。
結婚はお互い様のこと。
お互いのニーズに沿わなければ、結局結婚できない。
例えば30代の女性は、同世代にいい男が残っていないと思うかもしれない。しかし、多くの男性は30代の女性に見向きもせず20代の女性と結婚したいと考えている。
男女どちらが愚か者なのかは置いても、女性の年齢は取り返しがきかないが、男性の収入は増えるかもしれない。


この需要と供給を考えると、結婚は早目がいいのかもしれない。
最近、早めに結婚する女性が多いような気がする。
周囲をみても、30代よりむしろ20代の方が既婚割合が多い気がする。
おそらく、今の20代は先輩女性の姿をみて何かを悟ったのかもしれない。
諸外国でも、早く結婚して30代前半で子育てをほぼ終えて、30代からの職業人生に備える女性があると聞いたことがある。
女性の社会進出にともない人生設計もこのように変容していく。
男性においても、従来のように「結婚は一人前になってから」という風潮が緩和され、収入が少なくても早期に結婚を決めてしまい、結婚生活を送りながら夫婦お互いのレベルアップを図っていく人生設計が社会的に認知されるとよいと考える。
簡単に言うと、「格下婚」のイメージによって、これまで社会が男性に強要してきた結婚のハードルが少し下がれば、それで結婚できるカップルが増えるかもしれない。


結論をいうと、「格下婚」という言葉が、かつては「負け組」と呼ばれた多少婚期の遅れた女性達を一層おとしめるのもではなく、結婚の意味を、相手の収入に依存したり、相手の家事労働を期待するような片務的なものから、夫婦お互いのライフサイクルを尊重し充実させるものに発展するよう社会的、個人的に考え直すきっかけになればよいなと考えているのである。