自分に嫉妬するのです。
わたしは、スロースターターで、てっぺんに至る寸前で、その輪郭が確かなものとなり、濃やさが増すのです。
しかし、自身が確かになるに呼応し、対峙するその眉間の血潮が充ち、熱くなりゆくとき、わたしは自分に対する嫉妬にかられます。
なぜなら、満つる自分が、然らざる自分よりも歓喜を確実にしていく、すなわち、然らざる自分は、確かなる自分に浮気を許し、寝取られているとの劣情、倒錯を知るのです。
わたしは、このことを思い切って告げることにしました。
答えはあっけないものでした。
素晴らしい情動に包まれるのは、摩擦の大なるからではない。自分を包む存在が高まっていく、それを輪郭の高まりに感じ、いや呼吸に感じ、汗に感じ、脈動に感じ、そのことが嬉しい。すなわち歓びなのだと。
満つるれば
充つるに重ね
裂ける歓喜の増す姿態
貴方に二言ありや
満つるれば
充つるに重ね
我また我を妬む
愛は此処にあれども