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根暗なマイハートのネジを巻け!

ふるさとがえり


映画『ふるさとがえり』泣けた〜。小規模な上映会が各地の町おこしに刺激を与え全国展開中。舞台は岐阜県恵那市、住民参加の脚本は丁寧に作りこまれ何度でも吟味したくなる。都会・地方の二項対立を超え、自分の置かれた環境や人のつながりを見つめ直しより積極的に関わる気持ちが湧く。
映画公式サイト: http://hurusatogaeri.com/


以下、感想文を続けます(一部内容に触れます)。


小規模な上映会は非効率だと初め思ったが、トークショーを含め密度の濃い体験を提供する質の高い取組みであり、さらに回も重ねているのはすごい。


「田舎」が舞台であるが題名は「ふるさと」である。
落ち込んだときに外に連れ出してくれた仲間、地域の絆を維持する責任、映画の素材に足りる景観や伝統などその真価を一つ一つ主人公が再発見していく、それが本当に泣ける。


脚本が手塩にかけられ心が伝わるので、映画を鑑賞し主人公を追体験することで、何かがないと諦めたりどこかに探しにいかなくても自分の置かれた環境から「見いだす」ことが出来ると背中を押される。

実際、この映画に触発され、各地の町おこしに具体的な取組みや連携の芽が生まれているらしい。


また、都会と地方の二項対立について、幼い主人公のセリフに「東京に出て独り立ちするんだ」がある。
このセリフは2つの意味で偏見がありそれを浮き立たせるために言わせたのかなと受け止めた。

ひとつ、実際は東京に出ても一人で事を成すのは難しいし、ふるさとは集団に依存するわけでもない。例えば消防団など緊密で責任ある行動がもとめられる。

もう一つ、地方は東京の「二軍」ではない。
確かに、企業の本社や大学が集積し、国会があり、メディアも多く、日本人1億2000万人の一割である1200万人が住む東京の存在感は大きい。
しかし、日本を特徴づけるもの、海外から高く評価される日本はどこにあるだろうか、むしろ地方にこそ存在しているのではないか。
各地に日本を特徴づける伝統職人がおり、里山の葉っぱビジネスなど先駆的取組が興り、学力をはじめ高校野球や合唱など部活動の名門校が優れた教育力を競い合い、多様な四季や風土や世界遺産は国内外から観光客を集め、日本の”おもてなし”を体現する満足度の高い旅館は地方の誇り、世界的なパン職人などが拠点を地方に置く動きもある。
長い歴史のなかでみたら江戸から東京なんてたかが400年、東の京都と書いて「東京都」、全国の歴史や文化の積み重ねに学ぶところが多い。
だから、各地が「潜在力を持ち」、各地に「一流」が活躍する、地方と都会は補完関係という角度から日本列島を見直したい。


私が東京に出た直後、地元の友達から「東京どう?」と聞かれ、まさに「誰と居るかのほうが重要だよ」と答え、みんなが「オー」と声を挙げたその理由が自分でも分からないでいた経験がある。

この映画では「何処で生きるかより誰と生きるか」という和尚のセリフがあり正直驚いた。同時に、自分の過去発言に”はなまる”を付けてもらえたようなハッピーな気持ちになった。
このセリフで都会とか地方とか関係ない、人のつながりが大切なんだと、これが本作から私が受け取ったテーマである。


上京した際は、理由もなく何者かになれた気持ちになったし、一方で大切な責任を放棄しているような後ろめたさを感じていた。
しかし、この映画をみて、そのふるさとに対し抱く責任と同質の責任が、今自分が置かれた環境と人のつながりにおいても存在すると再認識し、そこからは逃げずに積極的に関わっていく、向き合う、それがわたしの「ふるさとがえり」だと思った。