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根暗なマイハートのネジを巻け!

みんなの五輪と復興


オリンピック、パラリンピック(以下「五輪」と書く)より先に、被災地や福島原発が大事だという議論があるので、このことについて考えた。今朝のTBSラジオ番組内のアンケートでも、否定的な意見が46%あったし、NHKの朝の情報番組でも、被災地を案ずるメッセージが届いていた。


そもそも、五輪と復興は天秤にかけられるものではないというのが私の意見だ。五輪は将来への投資であり、まちづくりのデザインである。また、復興資金をより多く確保するためにも、経済活性化策を打つ必要があるが、夏に発表された成長戦略が新味に欠けたように、政府としても打つ手が少なかったので、五輪は景気浮揚策として重要。


たしかに、宮城県知事に言う通り、五輪が来ることで、建築資材の高騰や、土木技術者の取り合い、被災地に応援に来る他の自治体職員が地元に帰ってしまうなど、五輪が来ることで復興の足かせになる可能性は否定できない。
しかし、各自治体のインフラは更新時期にあり、五輪が来る来ないにかかわらず、この問題は起きると思うし、逆に五輪が7年後に来ることで、建設業の株価が上がったり、技術職を目指す人材が増えたりと全体の底上げが期待できる。


五輪に否定的な意見は、突き詰めると、「自分のために税金を使って欲しい」ということになると考える。つまり、五輪より復興に使って欲しいという意見はあるが、本当に東京都が4000億円を被災地のために使うとしたら、今後は、被災地に使うよりも都内の高齢者、失業者、育児支援などのために使うべきだという話が出るだろう。
要するに、お金の面からいうと、五輪に否定的な人達の論は、五輪のお金を自分に回せと言っているのと同義なのである。


また、被災者といってもその損害は多様であり、家族がバラバラだとかいうけど、被災者でなくても、子どもが欲しいけど恵まれず、そもそも家族形成の出来ない人もいる。被災者でなくても失業者はいる。幸せの尺度は、被災者かそうでないかで区別されるものではない。
むしろ、2020年の東京五輪を目指して人生設計を始め、夢見る人々の切実な思いに対し、その夢にかけるお金を、被災者たる我々家族によこせという論が正しいのかどうか。


つまり、五輪に夢をかける人の思いと、復興に夢をかける人の思いを天秤にかけ、どちらが重いかなど結論が出ないはず。


それでも、自分の税金が五輪関係に使われたくない、都にも国にも納税したくない人は、「ふるさと納税」制度を使い、被災自治体に寄付すれば、たしか一定額が税額控除の対象となっている。
胸に手を当て、被災地復興は大事だけど、自分が追加的な金銭負担までするつもりはないというのなら、黙りなさい。


また、主語を「東京が」「国が」と考えると、五輪より先に、被災地や福島原発が大事だという「べき論」になるけど、主語を「私が」で考えれば、五輪と復興はトレードオフではなく、五輪に向けたまちづくりや、被災地等支援に、職業を通じて、ボランティアや寄付を通じて、様々に関われますな。


被災地の復興計画は、住民合意が課題と聞く。東京は2020年に向けてまちづくりやります。被災地も先延ばしせずやりましょう。と、前向きに書いて指が止まった。福島県では、放射線量などから帰郷できない地域があり、震災関連死が直接死を上回る勢い。
安部総理が、放射能汚染水は政府のコントロール下にあると五輪招致プレゼンで説明した言葉の重みを政府は誠実に果たす責任がある。


以上、五輪と復興は、天秤にかけるものではなく、両輪となり得るとし、私の考えを述べた。
ただし、ひとつ関連性があるとすれば、「オリンピックムーブメント」が、すべての不都合な事実を覆い隠し、新たな安全神話を産むような流れになってはいけない。


奇しくも、NHK大河ドラマ『八重の桜』で、五輪招致を果たした日本国民に向けられたようなセリフがあったので、これを紹介して、本稿を終わりとする。

「みなさんの覚悟がこれっきりやないか、よう見させて頂きます。」(大垣屋→襄)