I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

友情

友情 (新潮文庫)

『友情』(武者小路実篤)を再読。以下、感想文。


作者の名前は小難しいが、文章は過不足なく端的で、言葉が鋭利だ。ツイッターなど制限文字内で伝える現代でも参考になる。
昔読んだときは、あまりひっかかる部分がなかったけれど、今回は読み応えがあった。
私が年を重ねたことで、小説に描かれた友情とエゴ、嫉妬と孤独、女性の合理主義的な振る舞いや上手な断り方などについて、自分の体験や感情の引き出しが増えたっていう(いいんだか悪いんだか)。
また、重要な登場人物「杉子」のイメージを、女優の長澤まさみさんに重ね合わせて読んだことも感情移入できた理由かもしれない。


約100年前に書かれたこの小説が青春の書として多くの若者に読まれているということは、多く共感を受けてきたということなんだろう。
特に、自己愛を胸の中から取り出して目の前に見せ、それに客観的なアプローチを試みる密度は、一人の頭脳でよくここまで書けたものだと感心する。


例えば、評論家の宮崎哲弥氏や、学者のロバート・キャンベル氏が、結婚や恋愛をすると、相手に投影する自分のエゴや醜い、気づかない部分が見えてくると述べているが、まさにそこの部分に光が当たっている。


また、ラストに希望があって救われる。
→「僕も男だ。参り切りにはならない。君からもらったベートオフェンのマスクは石にたたきつけた。」


そもそも、冒頭から「女性の代わりはいくらでもいるから・・・」という趣旨の前置きから始まるっていう、なんか隅々にまで気が使われていてバランス感覚のある小説だと思った。


本書の解説(亀井勝一郎氏)も「非常に完璧な作品」と賞賛している。
この解説も秀逸で、中でも「人は青春期に達すれば、男も女も、肉体も魂も妊娠状態を呈する。何かを生みたくなる。・・・中略・・・何を生むかといえば子供だけではない。真と善と美を生むのだ。」がいい。


本来自分の遺伝子を残すこと、すなわち子どもを産むことが人間の生命体としての目的である。しかし、心を持つ人間は、自分の思想や精神性を芸術作品、偉業、名誉、言い換えれば自己実現を生きた証、生きる目的にできる生物なのだ私は思っている。 id:horikita800:20110528


自己研鑽としての恋愛小説、一度は通る道なのかもしれない、本書を青臭い平板な小説と読む読者は、この道を通る前か、通った後の読者なのだろう。


ちなみに、私が2年前に書いた短編小説風の文章、これをとある文学賞に送ったのだけれど落選でしたw
たしかに、物事を一面からしか捉えていない点でダメだったかなと思ってます。
でも、恋愛ニート体質の人間が急に婚活をするとこうなる、という意味では、何かの参考になるかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/horikita800/20100824


以上