I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

破戒1

島崎藤村の『破戒』を読む。


読後を待たずに感想文を書く。


主人公と一緒に自分の心の動きをつづるのだ。


ていう。


主人公は24歳。教員として世にでるその間際に父より出生の秘密を告げられる。


そして、「隠せ」


それが戒めなのである。


赴任した先の学校は、世渡り上手の校長と、世渡り下手で退職する酒癖の悪い老教師、さらには同郷の教師らがいるが、それぞれが放置プレイされているという状況が描かれる。


世渡り下手で退職する老教師は「風間さん」
酒での失敗を繰り返す男。家族に病人もいるらしい。


他人事に思えない。
かくいう私自信、潔癖を任じてきたが、年を重ねるごとに自分が常習的に起こす過ちというのが分かってきて、それを人間的だとか人間の業だとかうそぶいて生きていくのかなあなんて考えている今日この頃なんで、さてこの男、話の筋にからむのかそうではないのか、気になるキャラの登場だ。


次に、銀之助。
主人公と同郷であり、主人公の出生の秘密を一番知りうる立場にいる、要注意人物。
主人公がある日を境に性格がまったく暗くなってしまったと気づいており、理由を知ってか知らずか元気を取り戻すように働きかけてくる。


そして社会情勢。
主人公の住む地域とその時代は、差別意識が根強く、その出生が分かると下宿を追い出すとか、宿に泊まらせないとか、能力が劣ると決めつけるとかしている。


まるで、一時代前のアメリカみたい。
ジェームス・ディーンの出演作『ジャイアンツ』では人種差別も描かれていて、ホテルの美容室が使えなかったり、レストランから追い出そうとされたりする様子が描かれている。
きちんと歴史を勉強しないと、アメリカに黒人差別だけじゃなくて、民族差別があったこと、今も残っているかもしれないことも知らずに、アメリカは自由の国だなんて、一面的な見方しかできなくなる。
『パラダイスロスト』という映画は、とある州における偏見から裁判員裁判における誤審がまかり通るかの現実が描かれているという。


でも、そんなこと知らなくても、生きていける。
きちんと仕事して家族を養っている「立派な大人」になることの方が大切だ。
でも、そういう人達の持つ偏見というのが上記米国の作品や、本作『破戒』のテーマになっているように思う。


現代日本はどうか。


差別とは違うかもしれないけれど、要するに社会で幅を利かせて「出っ張っている」人達というのがいる。
それは、衣食住が足りていて、ときどきマクドナルドで用もないのに席を占領してだらだら過ごしているような市民のことだ。
つまり自分たちだ。


何を言いたいのか。
既得権のことだ。
職業や財産そして家族や仲間を努力や相続によって得た。
それは当然のように自分のものとして誇っていいだろう。
しかし、社会において「出っ張っている」自覚も必要だと考える。


反対の言い方をすると、他者に対する忘却・無理解・無関心が現代の人権問題ではないかと考える。


差別や人権問題のバージョン2.0として、既得権に居座るのではなく分けあうという新たな視点も必要ではないか。


成熟社会ということは、パイが増えないということ、すなわち明日生まれてくる子ども達のために、少しずつ分け与えることがルールとなる社会にならなくてはいけない。


それは、自分の財産が奪われることを意味するかもしれない。
そんなことあるかって?
この小説『破戒』が描かれた時代の常識における差別意識が現代社会においては是とされないように、現代日本人が持つ「所有」の観念も、もしかすると普遍的でない、未来の日本人にとっては是とされないものかもしれない。


なんてことを考えながら、日本の人権が「差別」というレベルで論じられていた時代のこの小説を読み進めていこう。