I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

神聖かまってちゃん



神聖かまってちゃんの映画を観た。感想。


プロの棋士になるという夢と、周囲の今時の高校生とのギャップに悩んでいた女子高生の美知子(二階堂ふみ


昼は清掃業、夜はショーパブダンサーとして朝から晩まで働くシングルマザーのかおり(森下くるみ


レコード会社のプロデューサーとバンドの売り出し方について折り合いが付けられない「神聖かまってちゃん」のマネージャー・ツルギ(劔樹人)


大きく3つの典型的なストーリーが展開されるって話。
そして最後には一歩前に歩きだせそうになる話。


ロック全能、ロック賞賛を押し付ける映画のような題名であるが、実際は人間の地力・立ち上がる力に焦点が当てられている。


なにしろ登場人物が音楽にまともに向き合っていない。


具体的には、女子高生「神聖かまってちゃん」を彼氏に勧められたから聴いている。彼女の友人も最初はその楽曲に嫌悪を示したのに男に勧められるとよろこんでライブに行くと言い出す。


シングルマザーは、息子が大好きに聴いている「神聖かまってちゃん」のことを深く知ろうとしない。周りの大人達も表面的に歌詞を捉えて楽曲を排除しようとする。


バンドの売り出し方を巡るやりとりでも、音楽というよりも世間の風向きを気にするばかりだ。対立するプロデューサーも自分のこれまでの30年の成功体験にしばられるばかりだ。


音楽をテーマにした映画であるが、途中までまったく登場人物が音楽に真剣に向き合ってない。きちんと聴いていない。
さらに生き方にもどこか確信を持てない危うさがあるように映った。


一方、神聖かまってちゃんのマネージャを始めバンドのメンバーは音楽の中に生きている。
変わらない存在、それがバンドでありその楽曲であった。
その事が最後に生きてくる。


最後のライブシーンに並行して、それぞれの登場人物が、それぞれの気付きをする。
ただし、それは必ずしも歌詞がどうだとか音階がどんなかが影響したわけではない。


女子高生は、友人に男を取られた反発心、また将棋が強いひきこもりの兄の分まで頑張りたい気持ちが勝負の最後に利いてくるという話で音楽の力じゃない。


シングルマザーは、最後の場面で息子が大好きでいた「神聖かまってちゃん」に初めて向き合い、今まで息子の気持ちにも向き合えていなかったと気付き画面から目を離せなくなる。音楽に聴き入っていたわけじゃない。


音楽プロデューサーもマネージャーも結局何か結論を見いだせたわけでもない。


ましてや、「あの扉」が開いたのだって、音楽の力ではなく父親が久しぶりに将棋盤に駒を並べる音が聞こえたからだと私は思う。たいてい将棋は父親が子どもに教えるものだ。父親が息子の気持ちに寄り添う準備が出来たことが、あの扉を開いたのだと私は勝手に思っている。(父親が将棋盤をひっぱり出したのは、兄がCDを聴くより前だ!)


ただし、それぞれが「神聖かまってちゃん」を介して人間関係が展開しているという事実を踏まえると、その歌詞がどうだとか音階がどんなかとかに関係なく、音楽が人間関係を紡いだとしたなら、それは音楽の力と呼んでいいと思った。