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根暗なマイハートのネジを巻け!

平成18年6月24日

燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)

燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)


[感想]燃えあがる緑の木
大江健三郎が、神とか宗教に頼らずに
魂のこと
を扱った作品。


以下は感想。


人生において、過ちや後悔をした時に、
一人で心の整理が出来る人もいるが、
そうでない人は宗教などの「拠点」と出会う。
拠点での活動により過ちや後悔の過去が清算できる(したい)と考える人は、拠点での宗教的な活動に執着し、「教祖」を作り上げ、時に追い詰めることささえある。
また、誰かと繋がっていないと救われない人々もいる。
彼らにとって「死」は、自分がいない世界が何事もなく進行していくという意味で恐れるが、死後も誰かと繋がっていられるよう「死者が忘れられない」、「死後の魂は1つになる」と確信させてくれるような集団に執着する。


以上のように、人間は救いを宗教に求めて集団化する傾向があり、それで救われる者も多いだろう。
しかし、「神」は人々を思考停止させる装置になり得るし、宗教は活動面に針が振れてしまうと目的を見失う恐れがあるので、人々が本当に救われているのか疑問に感じている。


この小説を読んで私が考えたのは、過ちや後悔に執着せず前向きに生きるためには、しっかり、自分の頭で考えて心の整理をすることが重要ということだ。


そのための材料を小説に見出すことは可能である。
例えば、過ちや後悔のほかにも「喪失」は人のエネルギーを奪う。それでも熱く燃えた過去その時の心を無駄でないと信じ、それを大切にして悔やまずに生きていく姿勢が小説では描かれている。


そして、次の言葉

一瞬よりいくらか長い間


死後の闇は恐ろしいが、自分が生まれる前も長い闇があったことを考えると、生きている間は、”一瞬よりいくらか長い”貴重な時間であるとする。死後のことよりも、短い生きている時間の方を大切にしようと考えさせてくれる。


その他、小説の中で「間違っていることに気付いている者は救われる」というような意味の言葉が引用されていた。


やはり、一つひとつ自分の頭で考えて解決していかないと救いはない。
その教科書はないが、この小説で引用されている多くの言葉はその助けになる。