I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

1 自伝『この人を見よ』


ニーチェ自伝『この人を見よ』

ニーチェは、自分を現代文明に捧げられた犠牲として考えた。
時代のために誰かが犠牲として選ばれなければならない。
そしてそれは自分なのである。


本書の題名の Ecce homo
これはヨハネによる福音書十九の五にあって、
受難のイエスをさした言葉である。
手塚富雄氏による解説から 岩波文庫

ニーチェは、神は死んだと言ってキリスト教に反抗してたので、24歳で大学教授になるも学会には拒絶された。
なんでも世間に剣を立てるつもりで生きたらしい。ある意味でロックンロールだったのかもしれない。


ニーチェの自伝は、題名が『この人を見よ』で、冒頭に、「誰も私に耳を傾けないし、目も向けないが、いいか、俺の言う事を聞け!」と書いてある。
それを読んで友達になれそうと思ったけど、すぐ後に、「君たちに命令する。私を捨て、君たち自身を見いだすことを」と突き放された。


一昔前の大学は、「象牙の塔」と呼ばれた。現実から逃避するような学者や大学の閉鎖社会。
ニーチェも、大学は現実を観ず「理想」ばかりとバッサリ。
たしかに、私も法律の授業で、今はありえないような事例による判例や学説を学び、それを現在に当てはめるまで行かずに卒業した。反省。


なんでも、仏教は、衛生学なんだそうだ。心の安定を保ち迷いを捨てることは、精神衛生上よいことだからだそうだ。
そして、キリスト教は、なんの役にも立たないのだそうだ。あ、これニーチェが言ってるんで。
ニーチェはキリストの行いは是とし、特に時代の犠牲者的な部分に大きく共鳴していたそうだ。
ニーチェが嫌ったのは、キリスト教的道徳を権力に到達する手段とした僧侶たちの振る舞い。


さらに、生の反対概念として発明さらた「神」
その中には、一切の有害なもの、悪意的なもの、生に対する不倶戴天の的どもの全部が糾合されれ、一つの恐ろしい統一体をなしていると断じた。


ニーチェは、特に初期の傾向として、ディオニュソス的(混沌)と、アポロ的(統一)の二項対立を論じており、おそらく、本書の末尾で波状的に巻上がるアジテーションは、時代背景における物事の統一的収斂に対する反抗であったものと考えられ、下記に引用する。

「霊魂」「精神」さらに「不滅の霊魂」といった概念は、肉体を軽視し、人生において真剣に扱うべき栄養、住居、精神的健康法、病者の看護の仕方、清潔、天候などの諸問題に軽率な態度をもって対処するために発明されたもの。


「罪」は、「自由意志」の概念とともどもに、本能を困惑させ、本能に対する不信を第二の天性とするために、発明されたもの。


「無私」「自己を捨てる人」は、退廃の兆候、自分にとって何が有利かがもはや分からなくなること、自己を破壊することが総じて価値のしるしであるとされ、「義務」「神聖」とされている。


「善人」という概念においては、全ての弱者、病人、出来損ない、自分自身を悩みとしている者、つまり破壊してしかるべき一切のものが、支持され、淘汰の法則がはばまれ、理想として祭り上げられた。
一方で、誇りに満ちた出来の良い人間、肯定する人間、未来を確信し、未来を保障する人間に対する否定され悪人と呼ばれる。


わたしの言う事がお分かりになったであろうか?
十字架にかけられた者
対 ディオニュソス
この人を見よ (岩波文庫)

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「曖昧なことも単純なこともみんな同じだって 僕らの歌 この胸の真ん中で…」