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根暗なマイハートのネジを巻け!

3 解説『ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ』


ドイツ文学者 西尾幹二氏による解説『ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ

(1) 歴史とは結局のところ現時点で再構築されたもの、ありのままではない。
(2) 言葉で全てを表すことはできない。
以上より歴史から真理には迫れず、将来に伝える術もない。
真理は二次情報にはなく、その行為、その刹那にしか顕現しない。


「初めに行為ありき、であって、初めに言葉ありき、であるべきでは決してない」
ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ私評 (講談社現代新書)


「言葉では全てを表せない」理由。


ものの本によると、言葉では、他と区別することはできる。その色や形に言葉を与えることも出来るが、比喩である。つまり、対象を他と区別し比喩的に表現しただけでは足りないと。


しかし、実生活では、他人とその情報を共有できるなら、その対象物や感情に何でもいいから名前が付いていれば十分だ。
しかし、例えば「放射能」という言葉に何を感受するか。
漫然と記号のように扱っていると、深刻な事故の現実に目を背けることになる。


おそらく、ニーチェが言う「ディオニュソス(混沌)」的とは、このように「放射能」「被災地」の名で統一的に封じ込める何かに対するアンチテーゼである。


この世に生を受けたからには、物事の「真理」に迫りたいと思う時期もあったが、真理らしきものを探したり同調して生きても、自分を第一原則にして生きても、来るべきとき来たらいずれも無に帰すると。
言葉は、全てを伝えることはできない。記録は、読み手の前提や価値観などにより再構築されてしまう。




「初めに行為ありき」について


ツイッターは言葉の媒体だが、小説家や評論家など言葉の専門家が最もフォロワー数を集めるわけではない。
フォロワーは、政治家や芸能人など「行為者」が発する言葉を求めている。


柳家小さん(5代目)『あくび指南』。
話の枕で「釣り人」は暇だと。
そして「釣り人を見ている人」はもっと暇だと。
さらに「釣り人を見ている人を見て笑う人」が出てくる。


ニーチェは行為者を評価し、行為の伴わない認識者に批判的であったが、ニーチェ自身は、「認識者を認識する」人だったのではないかと。


ニーチェは、当時、学会から相手にされてなかったということだ。
良い事を言っても、伝えるメディアを持たないと。
でも、ニーチェの著書は125年後の今でも読まれているとは、孤高でわないか。


その点、AKB48を育てた秋元康は、歌というメディアを通じて、若者に持論をぶつことに成功している。
100年後にも通ずる中身があるかと問われれば、『僕にできるること』など、あると思います\ ^-^ /




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サカナクション - エンドレス - https://itunes.apple.com/jp/album/endoresu/id463999388?i=463999417 #iTunes
「誰かを笑う人の後ろにもそれを笑う人 それをまた笑う人と悲しむ人…」


AKB48 - 僕にできること
http://j-lyric.net/artist/a054ab6/l025309.html
「大人になれば 次の時代への責任がある 幸せのバトン 水も緑のもそうさ空気も 借りてるだけだよ人間のものじゃないよ 世界をひとつの家族にしようぜ…」