『歓喜の仔』読書中感想文
- 作者: 天童荒太
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2012/11/22
- メディア: 単行本
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妹は見えるし、弟は話せる
映画「エル・トポ」的に胸を打った
その子どもたちが、母に会うため、無賃乗車して追いかけられる一幕で、
すごく抽象的なことを考えた
皆がルールを守っているのに、逸脱するのは許せないと思った
しかし、逆に、もしかしてこの子らがこうなったのはむしろ、社会に問題があり、ある意味で大人がモラルハザードしている可能性があると思いハッとした
さらに、1人ひとりがルールを守っていても、集団が交錯すると、衝突、競争が起きる
そして、全体的にはうまくない状況になることもある
そんなとき、自分はルールを守っているのでと正当化し、他を見ない、手を差し伸べない
それでいいのか?
そんな問いかけをされたような気がした
だが、自分と他人の境界が引けないでお人好ししてると損をする
自己と所属単位の利益を優先するが「大人」
そんな問いかけを自分にしてみる
また、人々が自分の持分を守っているから、アウトサイダーが存在する。
周りの大人が運賃を払っているから新幹線は走っている。ただ乗りできる
マジョリティがマイノリティを生かしてる部分がなくはないのだ。
そういった風に、自分はルール守ってると、だから何?ポカーンとした顔、聞く耳持たない顔を向けられると、なんだか物足りない気がする
日々のルーチンに閉じ込められ、特定の能力しか使っていない、同じ仕事をしている人
地域貢献など、もう少し、別の顔があってもいいのではないか。
ところで、表現の自由も衝突する
それを好む人と好まない人がいる
得意不得意もある
表現の名宛人に直接届ければ良いのに、新聞やメディアに載せるのは、やはり大衆にも訴えたい
大衆の力を借りて、ある集団の行為を変えたいということ
つまり大衆がボヤボヤしているから啓発すると
過激な風刺なら届くかも
長い文章だと読まれない
だとしたら・・・
表現も物流のように流通するとき、大手メディアや大手出版卸業者の寡占状況にある流通経路がどうかも含め、特に国民の側も様々な見方に聞く耳を持たないと、表現の自由を自らダメにしている可能性もある
多様性という意味では、新聞などメデイアの声しか届かないのでは、物足りないし、少数派の反論がかき消されるってことがある
そもそも、風刺は誰に届けたい表現だったのだろうか?
多くは権力をただすものだと思うけど、この前のデモに欧州の首脳が並んだのは、テロに毅然と対処する意思表明など意味があるのだけど、ある意味で風刺を含め、言論に真摯に向きあう意思表明でもあるだろう。それがなければ風刺が二度4ぬことになる。